2012年3月9日金曜日

三国志の中で張飛が口にする”燕人張飛”の燕人って何ですか?

三国志の中で張飛が口にする”燕人張飛”の燕人って何ですか?

燕の国で生まれた人という意味ですか?

鳥の燕のように軽快な動きをするという意味ですか?

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張飛、字は翼徳(正史では益徳)。琢郡出身ですが

この燕人張飛と言っているのは先祖の出身地や戸籍が燕の国の出身と言う意味です。

中国では同じ姓が多いので出身地や戸籍の国をつけて名を名乗って区別をつけていました。

それが燕人張飛と名乗っているのです。

長坂橋での台詞で「我こそは燕人張飛なり!勝負するものはおらぬか!」ですね。








日本で言えば「長州人」や「会津人」と同じでしょう。



春秋戦国時代の国名がよく使われ、国ごとに特徴のある

ものもあります。



「魯人」は、孔子の出身国であるという自負があります。



「楚人」は、感情があらわれやすいという印象。秦漢のころ

では、野蛮という見方の他、「楚人は毒を吐く」などといった

偏見がありました。







日本でも中国でも、古地名は良く使います。

日本で言うと、「濃尾(美濃と尾張)平野」とか「奥羽本線」とか。



春秋戦国時代に、劉備・張飛が生まれた琢郡は、「燕」と言う国にあったんですよ。北京はその昔「燕京(えんけい)」とも呼ばれました。

それで、自分の出身地の名を名乗っているわけですね。日本で言えば「土佐の坂本龍馬」とか「甲斐の武田信玄」みたいなものです。



こういう例はいろいろあって、曹操の魏、劉備の蜀、孫権の呉と言う国名も、かつての国の名です。

昔の魏国があった辺りに(河南)、曹操は本拠を持ち、それで魏公・魏王になったので。

劉備の蜀はまったくの古地名で、後漢では「益州」と言っていました。

隋とか唐とか宋とか言う、後の王朝名(国号)も、春秋期の古地名でした。



中国は姓名のバリエーションが少なく、同姓同名の人が多い。

「馬忠」と言う名は、三国志だけで3人も居ます。

それで、出身地を頭に持ってきて、「常山の趙子龍」だとか、「西涼の馬超」とか名乗っているんですね。

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