三国志と酒のエピソード
三国志の酒豪といえば、孫権や張飛の名前があがりますが、
そのほかのエピソードで面白い話はないですか?
竹林の七賢で有名な「劉伶」は酒好きでした。
劉伶はその日も二日酔いで、ひどく喉が渇くので、
女房に酒を持ってくるようにいいます。
女房は、深酒と劉伶の身体を心配して、酒甕を叩き割って泣きながら、
「酒の飲み過ぎです。これでは養生の道に外れます。きっぱり酒を断ってください」
と頼みます。
劉伶は、
「よく諌めてくれた。が、私は意思が弱いので自分で止められないから、
神に誓って酒断ちの願をかけよう。
すぐにお供え用の酒と肉を用意してくれ。」
女房が早速用意すると、
劉伶は神前に酒と肉を供え、こう祝詞をあげます。
「天は劉伶を生みたまい、酒をもって名を挙げさせたもうた。
ひとたび飲めば一こく、酔い覚ましに五斗が適量。
婦人の言葉など心してお聞きにならないように」。
そしてすぐさま酒を引き寄せて、肉を食らい、陶然として酔っ払ってしまいました。
孫権の議朗であった「鄭泉」は、主君に負けず部類の酒好きでした。
常々、
「船一杯に五百石の美酒を満たして四季の旨いものを酒の肴として用意する。
船の中で泳ぎ遊び、潜ったついでに酒を飲み、疲れたら肴を食べる。
酒がちょっとでも減ったら、すぐ継ぎ足す。
そんなことがやれたなら愉快ではないか」
私は酒を飲めないので想像も出来ませんが、酒好きな方の夢でしょうね。
また、鄭泉は死に臨んで友人たちに、
「私を必ず陶器作りの家の側に葬ってくれ、百年の後、私の遺骸は土に化し、
うまくすればその土が使われて酒壺になれるやも知れぬ。
そうなればしめたものだ。」と遺言したといいます。
酒のエピソードと言えばこんな話が…
劉備は蜀で禁酒令を出そうとした時、酒の醸造道具を持っている者まで罰しようとしたとき
部下の簡ヨウが窓際まで行き道行く男女を指差し「それなら淫らな行為をする男女
全てを罰しなさい」と切り替えし撤回させたそうです。
あと孫権の酒のエピソードで
孫権が呉の皇帝になりその祝いの席で張紹に皮肉をいったそうです。
その内容は赤壁の戦いの前に降伏か先頭かでもめて張紹が降伏論を唱えていたことを皮肉って
「もしあの時張紹の意見を受け入れて降伏していたら皇帝はおろか人に物を恵んでもらって生活していただろう」
といったそうです(酔っ払っていたんだろうなぁ…)。そして張紹は恥じて病気になりすぐさま引退し全てのもの(爵位、領地)
を返上して隠居生活に入ったそうです。
曹操は酒豪というほどではないが好きではあったようですし(そのような詩を残しています)、酒の造り方を改良したそうです。
当時の酒がどのようなものであったのか、どのように改良したのかまではわかりません。
あと、曹操が劉備を招いて、酒で梅を煮てもてなす、というのがありましたね。
酒で梅を煮る。どのようなものができるのか試してみたいと思いながらまだ試していませんが・・・・・。
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