2012年3月29日木曜日

織田信長は、本多忠勝の事を「日本の張飛」と讃えた事があるそうなのですが、当時...

織田信長は、本多忠勝の事を「日本の張飛」と讃えた事があるそうなのですが、当時戦国時代に三国志の書物はあったのでしょうか?







正史「三国志」は、日本では伝来時期が特定できないほど古くから知られていたようです。

古くは、『藤氏家伝』(760年)の中に、蘇我入鹿(!)を董卓になぞらえて批判する記述が見られます。

史書などの漢籍は、一部の支配階級の読み物だったでしょうが、蘇我入鹿を董卓にたとえるということは、既に「董卓は奸臣」という、明代に書かれた小説「三国演義」につながるような、キャラクターイメージが広く定着していたことが想像されます。これは「三国志」が、少なくとも支配階級の間では人気が高く、広く読まれていたことをあらわすのではないかと思います。



まして戦国時代には、乱世における「軍略」「軍政」の教科書のような三国志を、天下を取ろうとした織田信長が読まなかったはずありません。








「演義」が読まれたかどうかはともかく、史実としての三国時代は武将はみな学んだことでしょう。春秋戦国時代か三国時代くらいしか学ぶべきものはなかったと思います。現代に於いても、若し武将として戦争のことを学ぼうとするなら最も良い対象は変わらないと思います。戦争をするという際に、全く勉強もせず自己流のやり方と勘だけで臨もうとする人はいなかったと思います。すぐに死んでしまうからね。

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