三国志についての質問です。
なぜ正史と演義では張飛の字が違うのでしょうか。
正しいのは正史の方?
ご存知の方、お願いします。
正史と演義の記述、どちらが正しいといわれれば、歴史書である正史の記述です。
つまり、張飛の字は「益徳」であって、「翼徳」ではありません。
ご存知のとおり、演義は三国志の時代から約1000年後に成立したものです。
そもそも演義とは、三国志の説話や講談を聞き取り、それを精錬された文書として書き起こしたものとされています。
そこで、なぜ「益徳」が「翼徳」に変わったのか、ですが。
どうも、その聞き取りの過程で、「益徳(えきとく)」を「翼徳(よくとく)」と聞き間違えて伝わったのではないかと言われています(中国語の発音では同音とのこと)。
それに加えて、張飛の「飛」が、翼徳の「翼」と連想しやすかったことから、この聞き間違いが、一般的に定着したというここととも言われています。
ちなみにこの当時の講釈師の脚本は、声に出して読まれるのが前提であったため、「諸葛亮」が「朱葛亮」、「司馬懿」が「司馬益」と書いてあることもしばしばであったとか。つまり、漢字の誤記、誤植はそれほど問題ではなかったということです。
日本では「益」(正史)と「翼」(演義)で別けることがありますが、中国での発音は近いのでどちらが正しいというわけではありません。
当て字で「益」から「翼」になったのかもしれません。
演義の方で間違えたか、わざと違えて書いたんでしょう。
普通に考えれば正史でしょう。
両方間違ってるかもしれませんが、張飛の場合は正史の方で間違いないでしょう。
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