2012年3月29日木曜日

三国志に出てくる武器

三国志に出てくる武器

三国志に登場する武器ってどんな感じの武器だったのですか?例えば関羽の青流円月刀や呂布の方天過激等はあの時代に実際に製造されてたのでしょうか?







回答の前に訂正しておきますね。

青流円月刀→青龍偃月刀

方天過激→方天画戟

ですよ(^_^;



武器としては青龍偃月刀は青龍刀、方天画戟は戟という種類になります。

青龍刀は日本の薙刀(なぎなた)のような形状で、刃の部分が肉厚で幅広く、馬上から振り下ろして敵を叩き斬るのに適した形状をしていました。戟は槍に似た武器で、穂先が複雑な形状をしており突く、払う、撫で斬る、敵の武器を絡めて折ったり奪ったりと色んな使い方ができました。



質問者さんのおっしゃる『三国志』は明の時代(三國時代の約1000年後)に書かれた小説『三国志演義』のことです。明の時代には青龍刀も戟もメジャーな武器で、誰でも形状や威力を知っていました。ですので読者には関羽や呂布が使っていると聞いてもイメージがすぐ沸きました。

ですが実際の三國時代にはまだそれらの武器はありませんでした。三國時代は中国にとってもまだ古代に属する時代ですから、そんな複雑な用途や形状の武器はなかったのです。



同様に、張飛が使ったとされる蛇矛も、矛自体は三國時代にもありましたが、蛇矛のような蛇行した形状の両刃の矛はありませんでした。

袁術配下の紀霊が使ったとされる三尖刀、曹操が董卓を暗殺しようとして持って行った七星の剣、曹操配下の徐晃が愛用した大斧、同じく曹操配下の王双が愛用した流星錘なども、後世に作られた武器で三國時代にはありません。



一方、『三国志演義』に登場していて三國時代からあった武器と言えば、代表格は諸葛亮が改良した連弩です。今で言うボウガンのような形状で、矢を装填して引き金を引いて発射するものを弩と言い、諸葛亮はそれを改良して、一度に10本程度発射できるようにしたそうです。





その他の武器








関羽の使っていたとされる青龍円月刀は宋代の武器、呂布の方天画戟も同じく宋代の武器です。張飛が使っていたとされる蛇矛に至っては明代の武器です。当然いずれの武器も正史には登場しません。

三国志演義は歴史書ではないので(三国志正史を元にした小説)フィクションというか適当な捏造がふんだんに盛り込まれています。話としては面白いですが、実際の歴史とは切り離して考えた方が良いでしょう。

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