三國志
魏延ですが諸葛亮が使いこなせなかっただけで能力は三國志の中で高くて関羽、張飛、趙雲、馬超たちにひけは取らないと思いますが皆さんどう思いますか?
最終的に殺されたのは権力闘争の結果に過ぎず、むしろ忠義の人物です。主君を殺したのも創作ですし。
個人的には劉備が抜擢したのと、その戦歴からみれば、関羽と同等であり、他の将とは比較にならないでしょう。
実際そのとおりだと思います。
漢中奪取後、魏延は劉備によってその守備を任されています。
言うまでもなく漢中は魏との最前線の一つでありここを任せられるという事は如何に劉備が魏延を信頼していたかの証左であると言えます。
例に挙げた中で言えば、荊州を任さられていた関羽はともかく張飛らはまだ益州に居ました。その張飛らを差し置いての任命ですから、新参でありながらその実力は劉備の認める所であったのでしょう。
諸葛亮との派閥争いも絡めた対立や楊儀によって謀殺された事により、後世の評価が不当に下げられたきらいがあります。
実力では劉備陣営のトップの一人と言えるでしょう。
魏延は『三国志演義』の数々の悪い設定のせいで非常に不当な扱いを受けていますね。不憫なことです。
正史『三國志』から分かる魏延の姿は、忠義に篤く武勲輝かしい良将であり、決して裏切りの人物ではありません。
個人的には関羽と同等とは思いませんが、張飛や馬超には肩を並べて然るべきだと思います。
ところで、私は諸葛亮が魏延を使いこなせなかったとは思っていません。むしろ武勲輝かしくプライドの高い魏延を見事に使いこなしていたと思っています。諸葛亮存命中は一切問題を起こしていませんし、諸葛亮と魏延が不仲だったとも思っていません。
諸葛亮が却下したのは魏延が献策した「1万の兵で長安を直接急襲する」という大胆な作戦ですが、1万と言えば蜀漢の総動員兵力の約1割に及ぶ大軍です。そんな兵力を常備兵力30万を超える魏軍の最重要軍事拠点に直接ぶつけるなど、リスクが高すぎて諸葛亮でなくても採用できない危険な賭けでした。
それに諸葛亮の基本戦略は「涼州を徐々に削り取り、魏を疲弊させ蜀漢の国力を増す」のが狙いでした。もっと端的に言うなら長安から敦煌を経て西域に至る「河西回廊(シルクロード)」を押さえたかったのです。魏延の策とは相性最悪でした。
魏延は常々「丞相は臆病だ」と不満を漏らしていたそうですが、勇敢とか臆病の問題ではなく諸葛亮の戦略構想から外れていただけです。
ところで、魏延は最期は反逆者として滅ぼされますが、諸葛亮が自分の死後に撤退する軍の責任者に指名していたのが常々魏延と犬猿の仲だった楊儀で、魏延は楊儀に従いたくなかっただけです。決して諸葛亮に反抗した訳ではないのです。そもそも楊儀は旧劉璋配下であり、諸葛亮とともに荊州時代から劉備に従っていた魏延にとっては、自分の上に立たれる事が我慢ならなかったのでしょう。
名前に“魏”という文字がはいっているから
作者が嫌って悪く書いているのさ!
能力的には、黄忠の代わりに魏延を五虎大将軍に加えても良いと思っています。正史には、一隊長として劉備に従い度々戦功があったので牙門将軍とした、とあって漢中太守にまで出世しています。荊州と同様に漢中も戦略上重要な地です。こう考えると少なくても劉備は、魏延が関羽にもひけはとらないと考えた筈です。
旧主に直接手を下して劉備傘下に入ったのですから、来歴がよろしくありません。消極的に逃げてきたなら解りますが、手を下したとなると信用できる人物ではなくなります。
諸葛亮が使いこなせなかったというのもありますが
反骨精神が強すぎだったりします。
忠義という点では、関羽、張飛、趙雲、馬超には劣ると見えます。
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