三国志で「馬氏」が文官・武官問わず結構活躍しますが
荀氏のようにすべて一貫した一族なのでしょうか?
中国には「張三李四」と言う言葉があり、「猫も杓子も」と言う意味です。
要するに中国は姓のバリエーションが少なく、張・李・馬などの姓はよくかぶるのです。
それで、中国では出身地、「燕人張飛」とか「常山の趙子龍」とか名乗るわけですね。
蜀の馬忠と呉の馬忠が同族だったら、それはそれで面白いと思いますけど・・・。
馬騰・馬超親子の系列と、馬良・馬謖兄弟の系列を指しているのですかね?
おそらく、関係ないと思われます。
後漢の建国の功臣に馬援という将軍がおり、馬騰・馬超はその子孫です。
一方、馬良・馬謖ら五兄弟に関しては、その旨の記載が特にありません。
馬援は三国志の時代の150年ほど前の人物に過ぎず、娘が二代明帝の皇后となっているように、有力豪族となりました。
そのような人物との関連が触れられていないということは、おそらく別の一族でしょう。
ただ、馬援は戦国期の趙の名将の子孫と名乗っており、実際前漢でもそれなりに有力な一族でしたので、前漢時代に分かれた同族という可能性はありうると思います。
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