三国志張コウについて…
いまいちマイナーな感じが拭えない張コウですが
史実ではかなり優秀な武将だったと書いてありました
実際はどうだったのでしょうか?
正史の資料を参考にして書いてみました。
■まず張コウが曹操に降る経緯には二説あります。
一・軍需品、食料を集積してある烏巣を曹操が襲ったとき。
主君の袁紹に救援するよう進言したが却下され、のちに袁紹軍は大敗。
同僚の郭図に「張コウはそれみたかと嗤っている」等と嘘の進言をされ、
真に受けた袁紹の怒りを避け曹操に投降した。
二・烏巣を守っていた将が敗れたと聞き、曹軍と戦っていた張コウ達は投降し、そのため袁紹軍はもろくも崩れた。
そのほか
■袁紹の本拠地、ギョウ城攻略に参加。
袁紹の子、袁譚の討伐に従軍。一軍を率いて城を包囲する。
■宕渠侵攻時に張飛とぶつかり手痛い抵抗を受け引き揚げる。
その後は夜襲を仕掛けてきた劉備軍を退けている。
■夏侯淵が戦死して動揺する陣営をまとめ、的確な指示で兵を落ち着かせた。
■諸葛亮の弟子、馬ショクがしいた布陣の甘さを見破る。飲み水の補給ができないよう水路を断ったのち、馬ショク軍を大破。
――まだ不足な部分がありますが、張コウについての事柄は大体このような感じです。
勇猛であり、戦況や有利な地形を見極める能力に長けていて、
誰もが、諸葛孔明ですら一目置き、かつ恐れ、その存在を多分に警戒していました。
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