三国志、五将について質問です。
魏は五将軍(張遼、徐晃、李典、張コウ、楽進)がおり、
蜀には五虎将(関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠)がいます。
ですが呉の五将は聞いたことがありません。呉五将は存在したか、教えていただけますか?
三国志は西暦283年頃に書かれた65巻の歴史書です。
関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲がこの順番で1つの巻に収められているので、
このメンバーが蜀の五虎将と呼ばれるようになりました。
魏の五将と呼ばれる存在は無かったのですが、
最近では、三国志に照らし合わせて
張遼、楽進、于禁、張合β、徐晃がこの順番で1つの巻に収められているので、
このメンバーが魏の五将と呼ばれる場合もあります。
夏侯淵や夏侯惇が入っていないのは、違う巻に収められているからです。
※徐晃の伝には朱霊の伝が付記されていますので、
朱霊を含めて魏の六将という人もいます。
呉の五将は存在しないのですが、三国志に照らし合わせると、
呉も1つの巻に収められている5人が五将ということになります。
程普、黄蓋、韓当、蒋欽、周泰、陳武、
董襲、甘寧、凌統、徐盛、潘璋、丁奉の12人が
1つの巻に収められています。彼らをまとめて呉の十二将と呼ぶべきでしょう。
どうしても5人にこだわるというのであれば、
賀齊、全琮、呂岱、周魴、鍾離牧の5人が1つの巻に収められていますので、
このメンバーが呉の五将ということになります。
他の方もおっしゃってますが、そもそも魏の五将軍も蜀の五虎将も
後世の創作ですね。正史の方を見ますと
魏は張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃
蜀は関羽、張飛、黄忠、馬超、趙雲
が似たような実績等を残した人物としてそれぞれ魏書、蜀書内で
一つのグループとして伝がまとめられています。五将軍も五虎将も
そこから後世創作されたものと考えられます。
一方呉は他の方も言われているように、武官トップクラスの人物達
は五人でまとめられていません。そう言う意味では呉の5将は存在
しない、と言う事になります。
ちなみに魏書は正統王朝と言うことで史書は編纂されており、偶々
(かどうかは分かりませんが)武官トップが5人でまとめられてました。
個人的意見ですが、陳寿は元々蜀の人間でしたので、そのことを
意識して、蜀の武官トップも同じように5人でまとめたのではないで
しょうか。
感じとして魏の五将軍がいずれも将軍として似た実績を残している
のに対し、蜀の五人は似た、と言う程似た実績を残してはいません。
馬超や趙雲などは別に伝を立てられてたとしてもおかしくないような
人物ですからね。
劉備達に対する呼称などからもわかりますが、そう言う意味で蜀書
は陳寿にとっては魏書とは別の意味で特別であり、魏書を意識して
編纂したのだと思います。
逆に呉書は直接関わりがなかったので、そう言う部分を意識したり
することは無かったのだと思います。孫権に対する呼称も他の臣下
に対するものと区別してないですからね。そう言う意味で呉の五将
の基となるような伝の立て方はしなかったのだと思います。
魏の五大将には、李典ではなく于禁が入ります。
列伝が一つの巻にまとめられている五人であり、曹操が信頼し好んで用いたと『三国志』に記述されている五人でもあります。
蜀の五虎大将は『三国志演義』にて設定された、架空の役職です。
それに対応するものとして、「魏の五大将」と呼ばれるようになりました。
呉では、特に言いませんね……。
「呉志」巻十にまとめられいる程普・黄蓋・韓当・蔣欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・淩統・徐盛・潘璋・丁奉が大きな功績のあった将軍たちとされていますから、この中から選ぶのが妥当でしょうか。
三国志において五虎将軍(蜀)、五将軍(魏)という称号は存在していません。
五虎将軍の称号は、15世紀に書かれた小説「三国志演義」に登場する物で、実際に彼らが生きて居た時代に使われた物ではありません。
五将軍の方はもっと近世になって言われ始めたもので、この称号は魏志の列伝において張遼、徐晃、李典、張コウ、楽進の五人の列伝が一まとめにされている所から来ています。
・魏書第十七(張楽于張徐伝第十七)
尚、夏候惇・夏候淵は魏の皇族扱いの為、列伝は別にあります。
歴史書である三国志は、蜀の生まれの編者が魏の後継王朝である晋に仕えて編纂した物である為、魏・晋を正統に蜀を尊重し呉はつけたしです。
また、三国志演義では劉備を主人公に曹操を悪役にしたために、蜀が正統で魏・晋は悪玉扱いで、やっぱり呉はカヤの外です。
尚、呉の大史慈は演義では忠義者ですが正史では客将扱いですし、孫仁という孫夫人の名前は孫権の系図から当てはまる名前を持ってきた(たぶん早死した孫権の弟)だけですし、孫尚香の名は近世の小説あたりから持ってきた架空の物で、彼女自身は武芸を好んだものの戦場には立っていない上に呉の皇族ですから家臣扱いの将軍には入れられません。
魏、呉の5虎将は存在しないと存じております
浅学菲才の私から見てみると魏の5虎将は
許ネ者(きょちょ)
夏候惇(かこうとん)
夏候淵(かこうえん)
張遼(ちょうりょう)
張コウ(ちょうこう)
かと存じます
李典や楽進も曹操陣営においてなかなかの武将ですがこの5人には及ばないかと・・・
呉の5虎将は・・・
呂蒙(りょもう)
甘寧(かんねい)
黄蓋(こうがい)
大史慈(たいしじ)
まではいいんですが・・・
程普(ていふ)、韓当(かんとう)孫仁【孫夫人】(そんじん)
程普、韓当は孫堅の時代から使えています。
しかし目立った功績はない・・・
女の孫仁を出すのもどうかと思いますが・・・
なかなか武勇にすぐれています。
最後の一人は
お手数ながらご自分で・・・
参考になれば幸いです。
0 件のコメント:
コメントを投稿