三国志全然分からないので教えてください
りょうかは張飛の3歳したで超雲の2つしたですよね?
なのになんでりょうかは蜀滅亡まで生きていたんですか?
廖化も趙雲も張飛も生年や年齢は正確なことは分かっていません。廖化に関しては258年の時点で70歳以上ってことは分かっているので、最低でも188年より前に生まれてます。あとは劉備の年齢などから大まかに推測していくしかないですね(劉備は161年生まれ)。
廖化が黄巾賊だったという設定は演義の創作です。彼は荊州出身者で劉備が荊州に来てから仕えたんだと思います。仮に188年に生まれたなら享年は76。それはそれで長寿ですが、当時でもそれぐらいの年齢で活躍してる人は結構いました。演義だと黄巾の乱に参加してるので100歳を超えてしまいます。正史にも100歳以上まで生きた人はいるんですが、廖化の場合は90歳を超えても戦争で指揮を執ってたことになりますからね。さすがに無理があります。
結論ですが、演義の設定では苦しいけど正史の記載からは廖化の年齢的に蜀の成立から滅亡まで生き抜いても不思議ではない、ということです。荊州の失陥から蜀の大きな戦いにはほとんど参加しているようですので、生き字引的存在ではあったと思いますよ。
先の回答者様のおっしゃる通り正史では劉備が荊州を支配したのち仕えた現地の人ですが、親子二代という説もあります。しかし、出典は忘れてしまいました。
ちなみに趙雲は実は劉備より年上だったという説もあります。少なくとも同世代だったと思われ、張飛よりは年上だったでしょう。
演義では趙雲の年齢は途中から変わったりしていて矛盾があり、一応史実を踏襲しつつもあくまでフィクションですので、「こいつ長生きだなぁ」くらいに思っていればいいのではないでしょうか?
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