2012年3月29日木曜日

三國志に関する質問です 劉備が制圧するまえの蜀は劉璋が統治していましたが、劉...

三國志に関する質問です



劉備が制圧するまえの蜀は劉璋が統治していましたが、劉璋の血縁にある人物及び、劉璋の配下であった人物の、


名前、字、血縁、経歴についてなるべく詳しく教えてください



張任

(なし)

落鳳坡にてホウ統を射殺、金雁橋では諸葛亮の計略に敗れ、張飛に捕えられ、斬首される。

遺骸は金雁橋のたもとに葬られた。



こんなふうにお願いします







【劉璋(りゅうしょう)】?~219年

劉焉の四男。字は季玉。

兄達が相次いで亡くなったとこもあり、

益州牧・監軍使者・陽城侯となります。

彼の重臣の張松・法正・孟達らが、

見限り劉備を益州の牧として迎えるべく画策します。

張魯や曹操らの脅威を感じて、が戦が不得手であった劉璋は、

張松らの進言を聞き入れて、

劉備を蜀に入れることを許してしまいます。

結局、劉備に蜀の地を乗っ取られてしまいます。

219年、関羽が呂蒙によって殺され、荊州が孫権に奪われた時、

劉璋はそのまま帰順して家臣となり、

孫権に益州牧に任じられますが、間もなく病死しました。



【劉循(りゅうじゅん)】生没年不詳

父.劉璋。妻は左将軍・司馬の龐義の娘。弟に劉闡。

劉備の益州攻略戦では雒城に籠って頑強に抵抗しましたが、

最終的に父と共に劉備軍に降伏します。



【劉闡(りゅうせん)】生没年不詳

益州牧・劉璋の次子。

劉備が益州を攻略した時、父兄と共に降伏します。

後に父と共に荊州の公安に移住しますが、

219年に関羽が敗れ、荊州が呉の支配圏になると孫権に帰順しました。



【劉焉(りゅうえん)】?~194年

後漢の宗室。字は君郎。

前漢の魯恭王・劉余(景帝の第4子)の末裔。

後漢の宗室という名門の血筋と、政治手腕によって中郎となり、

賢良方正に推挙されて司徒府に招かれます。

益州の牧となり、漢監軍使者を兼務し、陽城侯に封ぜられました。

晩年は、子供が相次いで亡くなるなど不幸が続き、

その心痛から悪性腫瘍を患い同年に死去してしまいます。



【劉範(りゅうはん)】?~194年

劉焉の長男。劉璋の異母兄。

董卓によって左中郎将に任命されますが、

董卓死後、李傕に対し反旗を翻します。

長平観で決戦に破れ、戦死します。



【劉誕(りゅうたん)】?~193年

劉焉の次男。劉璋の異母兄。

同母兄の劉範と共に長安に駐屯し、董卓によって治書御史に任命されます。

兄・劉範らと共に李傕に半期を翻しますが、破れ刑死します。



【劉瑁(りゅうぼう)】生没年不詳

劉焉の三男。

呉懿の妹を妻とします。

彼の死後、未亡人を劉備が娶り、後の穆皇后となります。

精神病を病み間もなく亡くなりました。



優秀な部下が多くいます。



【張松(ちょうしょう)】?~213年

字は子喬(永年)。張粛の弟。

益州の劉璋の部下として仕えますが、主人を見限り、

劉備を、益州の新たな君主として迎えようと画策します。

兄張粛に密告され、

怒った劉璋により張松とその妻子は処刑されてしまいます。



【法正(ほうせい)】176年~220年

字は孝直。

196年、孟達と共に益州牧の劉璋に身を寄せます。

劉璋の下では重用されなかったので、

張松と共に劉備の益州攻略に協力することになります。

劉備が益州の支配に成功すると、

その功績により蜀郡太守揚武将軍に任じられ、

中央の政治に諸葛亮と共にあたりました。

劉備が漢中王を称すると、

尚書令・護軍将軍に任じられますが220年に病死。

死後、劉備から翼侯を与えられました。



【孟達(もうたつ)】?~228年

字は子敬、のちに子度。父は孟佗、子は孟興。甥に鄧賢。

劉璋・劉備に仕え、蜀(蜀漢)の成立に貢献しますが、

関羽への援軍を拒否して、関羽は敗死、

その罰を恐れて、後に曹操に降伏し、

曹丕に寵愛されますが、曹丕死後立場が微妙になり、

諸葛亮の誘いで魏に対し謀反を起こしますが、司馬懿に討伐されました。



【黄権(こうけん)】生年不詳~240年

字は公衡。黄邕、黄崇の父。

益州牧劉璋により召しだされて主簿(帳簿係)となった。

212年、劉備の益州攻略に最後まで抵抗しますが、

劉璋の降伏に従って降伏します。

夷陵の戦いで別働隊の黄権は退路を断たれてしまい、やむを得ず魏に下ります。

魏でも厚遇を受けますが、最後まで蜀に義理を通しました。



【劉巴(りゅうは)】186年~?

字は子初。劉曜の孫、劉祥の子。

劉璋が劉備に降伏しようとした時これに猛反対し、

劉備が蜀の君主となった後は、劉備に仕えることを嫌って隠遁します。

諸葛亮仕官を請われ、劉備のその臣下となります。

劉備が漢中王になると尚書となり、法正が死去すると尚書令となりました。



【王累(おうるい)】生年不詳~211年?

劉備を益州に招こうとした時、城門に自分の身体を逆さ吊りにして諫言します。

劉璋は彼の言葉を受け入れなかったために、

そこで王累は縄を解いて、その門前で首を掻き切って自決しました。



【張任(ちょうじん)】生年不詳~213年。

益州蜀郡の人、劉璋配下の武将。

文武両道にたけた武将で、

劉備の入蜀の際、劉備軍に対し徹底抗戦をします。

しかし劉備軍に敗れ、雒城に撤退しました。

雒城にて劉循と共に籠城しますが、

金雁橋に撃って出た際、敗れ、捕虜となりました。

劉備は張任を高く買い、何度も配下になるよう勧めましたが、

張任は「老臣は二君に仕えず」と頑なにこれを拒否。

已む無く劉備は首を刎ねます。

三国志一番の名言は誰の何と言う発言ですか?

三国志一番の名言は誰の何と言う発言ですか?

個人的に好きなのは張飛の「登れそうな所から登っても奇襲にはならない。誰の目から見ても登れそうにないところから登るのが本当の奇襲と言えるだろう」です。







黄巾党のスローガンである、



『蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉(蒼天已に死す 黄天當に立つべし 歳は甲子に在り て天下大吉ならん)』ですね。



意味は、『蒼天(漢王朝)の世は乱れに乱れ既に死んだも同然であり、黄天(太平道)の世が正に立つべき時である。



時は甲子(184年:今年)、皆立ち上がり住み良い天下を作ろうではないか。』というものです。



これによって三国志の物語がスタートすると言っても過言ではないでしょうから、この言葉以外に考えられません。



これは、正史にも演義にも記述があり、実際に使われた可能性が非常に高いと言われています。



演義に出てくる創作(作者が後付した言葉)より名言だと思います。








「兵は神速を貴ぶ」

曹操軍の最強の軍師「郭嘉」の言った言葉。

演義では程昱が言った言葉です。



kaisyazimuinさん。

貴方が言われるのは会話中での話しです。

当時は相手の名前(曹操でいう「操」)を呼ぶのはタブーでしたから「曹孟徳」「劉玄徳」「諸葛孔明」と姓+字で呼び合いました。



ですがこういう説明文ではわかりやすいように姓、名、字全てを読んだ方が親切だと思います。

貴方の言い分は確かに筋が通っていますがこういう場合は全て書こうが、諸葛孔明と呼ぼうが、諸葛亮と呼ぼうがどれでもいいと思います。







陳寿が曹操を評して言った言葉。

「非常の人、超世の傑」(非常な才能の持ち主であり、時代を超えた英雄である)



ちなみに上の方、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は秦に反乱を起こした「陳勝」の言葉です。



あと、上の方、「諸葛亮孔明」は「諸葛」が性、「亮」が名、「孔明」が字です。

中国では名と字と両方つけて呼ぶことはしません。正しくは「諸葛孔明」もしくは「諸葛亮」です。

同じ理由で「劉備玄徳」「曹操孟徳」などはすべて誤りです。







「優れた人は静かに身を修め、得を養う。無欲でなければ志は立たず穏やかでなければ道は遠い。

 学問は静から、才能は学から生まれる。学ぶことで才能は開花する。志がなければ学問の完成はない。」



 諸葛亮孔明の言葉らしいです。

 NHK「そのとき歴史が動いた」でやってた気がします。



 それまで知らなかったけどいい言葉と思いました。







「治極まれば乱を生じ乱極まれば治に入る、これは古来からの倣いではないですか。」

発言者は諸葛亮の友人崔州平です。







「呉下の阿蒙にあらず」ですね。知っていると思いますが呉の魯粛が呂蒙に対していった言葉です。

この言葉を聞くたび呉下の阿蒙にならないように頑張ろうという気になります。

この言葉に対して呂蒙は、「士、別れて三日なれば、すなわち、さらに刮目して相待て」というのですがこの言葉も人として参考にしたい言葉ですね。



また曹操の「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」もいいですね。これは曹操が董卓の暗殺に失敗したとき、陳宮にいった言葉です。小鳥には大きな鳥の考えは理解できないだろうという意味。



建安の三曹七子として数えられた曹操、曹植、曹丕の漢詩も好きです。とくに曹植が兄曹丕に対する思いを歌った七歩詩が好きです。



曹操の漢詩はこちら

http://www2.oninet.ne.jp/kanzaki/fsou/sou5.htm



曹植、七歩詩

http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r04.htm



曹丕、燕歌行

http://www.geocities.jp/airin_1983/cha/souhi.htm

三国志大戦初心者です。 SR劉備(大徳)・SR趙雲(人馬)・SR馬超(白銀)・SR諸...

三国志大戦初心者です。



SR劉備(大徳)・SR趙雲(人馬)・SR馬超(白銀)・SR諸葛亮(八卦)などを持っているのですが、デッキの構成に悩んでいます。(完全に宝の持ち腐れ・・・)



とにかく、4枚で扱いやすくて強い

デッキを目指しています。





現在のデッキは以下の2パターン↓



①SR劉備(大徳)・SR趙雲(人馬)・SR馬超(白銀)orR張飛(挑発)・Rホウトウ(連環)orUC周倉



②SR諸葛亮(八卦)・SR趙雲(人馬)or馬超(白銀)・R張飛(挑発)・UC王桃





どちらのデッキの方が使いやすい、orの部分はこっちのカードを使った方がいい、もう少し別のカードを使った方がいい、この軍師カードを使った方がいい等ありましたら、ぜひご教授いただけると嬉しいです。



よろしくお願いします!







ある意味では大徳劉備、八卦諸葛亮の専門家です。Ver1では4枚大徳、Ver.2、3では4~5枚八卦を使っています。学生なので金がなく、たくさんプレイできないので証27の低証ですが・・・



それぞれの特徴、現状を挙げておきます。

大徳は広いです。すべての計略の中でベスト3の広さです。しかし、長さは並、付加効果も無し、武力上昇も5が強かったのは今は昔、本人の武力は6で戦線の維持や突撃用の壁が主な役割で、他のコスト2ほどの活躍は難しいです。

八卦の魅力は付加効果です。しかし、重ね掛けしなければ他の号令に負けます。そして、4体掛けが出来ないと、槍兵中心のデッキ相手には手詰まりです。本人の戦闘力もコスト1と同程度です。本人に掛かりませんし。



ではまず①の方を

連環の計(ホウ統)は良いですね。呂布、張飛、孫策の多い今の環境に合っていると思います。そうなると、兵種バランスの観点から馬超の方が良いと思います。または、仕様するタイミングを考えると、士気の軽い寡兵の咆哮魏延も、低い武力上昇を補えるので良いでしょう。

軍師は、安定の再起3枚衆の中でも、麋竺か法正が、属性の関係上良いかと思います。(再起はすぐに溜ります)攻城する際に、車輪状態が生きます。あとはもうひと押しのために馬謖もいいです。相手がこちらの大徳に対し、計略を重ねてきた場合、転身も有効です。



②は、よくあたるデッキに合わせて選択しなければなりません。逆にいえば変幻自在です。あたるデッキに馬が多いならば、白銀、張飛で良いでしょう。赤壁周瑜や槍のデッキによくあたるならばSR姜維(寡兵の麒麟児)が有効です。(知力が高く、武力の高い車輪も相手にしてみれば遅くなる+ダメージの、いわば悪地形です。)弓のデッキによくあたるならば、SR趙雲が有効です。士気の軽い長い神速は、使い勝手も良いです。 武力の兼ね合いもあるので、組み合わせにも気を配りましょう。(最高武力が8という事態はなるべく避けてください。計略を使わないところで押されます)

軍師は、大体の場合、麋竺とホウ統が安定感があり、良いです。(本当は諸葛亮が入れたい・・・) 再起、知勇、増援、連環とバランス良く取り揃えています。他の選択肢としては、馬謖くらいでしょうか。 兵書が付けられるようになったら、麋竺の再起には速軍を付けると相手の攻城の止めやすさが段違いです。再起を打つということは押されてる時だと思うので、効きます。あと、知勇には知力上昇を推薦します。知力を上げた白銀は、どっち道 決着がつきます。








①の4枚デッキなら、むしろ号令は不要です

SR趙雲(人馬)

SR馬超(白銀)

R魏延(大車輪)

Rホウトウ(連環)

等の方が良いと思います。

基本的に号令を使おうと思うなら

5枚デッキが一番安定していると思いますよ。

戦力が4枚だと+20、5枚だと+25されます

この+5の差は相当大きいですよ。



②に関しては何とも言い難いですが

八卦は戦況に応じて効果を使い分ける必要がありますので

英傑号令や超絶強化と異なり

プレイングスキル+的確な状況判断が求められます。

まずはスキルの上達が必須だと思いますので

八卦はあまりオススメ出来ませんね。



せっかく良いカードをお持ちですから

SR馬超(白銀)

SR劉備(大徳)

この二枚を主軸にした、5枚デッキを使われてはいかがですか?



例えば

SR馬超(白銀)

SR劉備(大徳)

UC関平(長槍)

C夏侯月姫(落雷)

C廖化(奮激)



奥義は再起



とりあえずこの辺りのデッキで

プレイングスキルの磨く事をオススメします。







4枚なら八卦の方が強いです。



八卦、張飛、白銀(人馬)、徐庶



八卦、張飛、関羽、張姫



軍師は再起、連環(鉄鎖)







あくまでも私の経験上、4枚の大徳デッキがでてきたことは、少ないです。

やはり大徳は範囲を生かした攻めが持ち味ですから、高い武力の武将が広範囲で攻めてきても、ローテや横弓で凌がれてしまう可能性があると思います。

それよりも4枚デッキということであれば八卦のほうが相性がよく、「4枚八卦」といえば一昔前の流行デッキでした。

八卦1枚を張飛にかけて、兵力を回復し城門に張り付け続けるというデッキでした。

パーツは、白銀馬超、挑発張飛、八卦諸葛亮、落雷徐庶でした。

八卦1枚かけに修正が入りあまりみなくなりましたが、こちらは、そこそこ戦えるようで現在もこだわって使っている方も見受けられます。



ですので、質問に回答いたしますと・・・

②のほうが使いやすいでしょう。王桃で白銀のサポートをする、というのもいいですし、落雷の目を残しておくという選択肢も考えられると思います。士気効率や対応力でいえば人馬もありなんでしょうが、2.5コス馬枠は、馬超7・寡兵魏延2・人馬趙雲1くらいの割合でしか見ません。

軍師は・・・馬謖をよく見たな。回復奮迅でさらにい座る感じですね。一応再起にもなりますし、もう一枚はホウ統でしょうか。



こんな感じだと思います。

三国志の「とうえんのちかい」とは、何ですか? 一応、「三国志」で検索して、色...

三国志の「とうえんのちかい」とは、何ですか?



一応、「三国志」で検索して、色々なHPも見てみたのですが、分かりません。

回答、よろしくおねがいします。







・桃園の誓い(桃園結義(とうえんけつぎ)ともいう)

劉備は、最強に強い”張飛(ちょうひ)・関羽(かんう)”という二人と

桃の花の咲く場所で義兄弟(ぎきょうだい)[血の繋がりはないが意気投合し

兄弟の誓いを立てること]になります。

三人は固い絆で結ばれており”生まれたときは違っても死ぬときは同じ”と

考えていました。








チャイナの片田舎に住んでいたアウトロー3人組が

ピーチガーデンで、おたがいに

ヘイ、ブラザー!

とよびあうようになりましたとさ。

そして放浪のギャング団を結成したのです。

三国志で蜀の五虎将軍のうちでだれが一番好きですか?

三国志で蜀の五虎将軍のうちでだれが一番好きですか?







中国では趙雲と黄忠の歴史的評価が高く次いで馬超、最後に張飛、関羽だそうです

自分も趙雲ですね

劉備の元でより諸葛亮、姜維とともに劉備が死んだ後の蜀漢を支えた1人だと思います








やはり忠義な趙雲です。。。







私も趙雲です。

忠義を貫き通したのでかっこいいです。







実際は趙雲は凡将だったようで趙雲の子孫が誇張して書いたのを演義でとりあえげたため五虎将にはいってるっていう事実はおいといて趙雲です。

長坂での武勇は本物ですし。







私も趙雲ですね。

有能で、忠誠心も十分にありますし…







二重顎と書かれているわりに表現される時は何故か細身の美形になる趙雲です(^-^)







黄忠です。老黄忠ですね。

三国志で、一番有名または栄えていた都市を教えて下さい。 私は長安だと思うので...

三国志で、一番有名または栄えていた都市を教えて下さい。



私は長安だと思うのですが、皆様はどう思いますか?



ご回答よろしくお願いします。







三國志で、という事であれば、一番栄えていたのは洛陽ですね。

ただ、董卓が遷都を強行してから、献帝が脱出してきて曹操が復興させるまでの期間は長安が一番栄えていたと思われます。

また、曹操が許に遷都をしてからは許(許昌)が一番でしょう。

要するに、後漢の首都がそれであるという事ですね。



魏が建国されると洛陽を首都と定めたので、そこからはまた洛陽が最も栄えた都市となったと考えられます。



補足の内容についてはご質問内容とは全く変わってしまうと思いますし、とてもひとつには絞れないと思いますが、

官渡の戦いの戦場である官渡

赤壁の戦いの戦場である赤壁(烏林)

洛陽

長安



成都

建業

漢中攻防戦の漢中

諸葛亮が陣没した五丈原

張遼らと孫権がたびたび争った合肥、濡須

張飛が一喝して曹操軍を退けた長坂



こういったあたりが「三國志と言えばここ」という場所になるかと思います。








曹魏の財政基盤の根幹は冀州の鄴です。







後漢・三国時代とも都市毎の人口統計が無いので何とも言えませんが、恐らく洛陽です。後漢書を纏めたサイト様によると河南伊だけで100万の人口がいたようですので。対して京兆伊(長安)は24万。荊州の南陽郡は240万という人口がいたようですが、広さが決定的に違いますね。



三国志と言えば…やっぱ赤壁かな。







評価の基準が違うと変わりますので、候補としては、以下の二つを挙げます。



洛陽

後漢の政治的中心で、董卓が焼き払うまでは栄えていました。





曹操の本拠地として、河北の経済的、文化的に栄えた都市。







私は、洛陽だと思います。後漢・曹魏・西晋の城都でした。

女性が三国志を読むとしたらどの作品からが良いでしょうか?

女性が三国志を読むとしたらどの作品からが良いでしょうか?

女性が三国志を読むとしたらどの作品からが良いでしょうか?



レッドクリフを見て三国志に興味を持ちました。

三国志について詳しい事は分からないですが、本も読んでみたいと思うようになりました。



漫画、小説何でもいいので初心者でも分かりやすい作品を教えて下さい。



宜しくお願いします。







女性です



とっつきやすいのは漫画です。

小説だとキャラクターが多いのに全て見慣れない漢字なので、最初は面食らうと思います。

レッドクリフはまだパート1しか見ていませんが、あれはかなり単純にしてありました。

そのせいで、まだしばらく生きているはずの人まで冒頭で死亡してしまったり。



そこで、入手困難ではありますが、物語としては非常に簡単に作ってあり、余分なキャラクターがいないという点で、少女漫画の「諸葛孔明 時の地平線」をおすすめします。

小学館プチフラワーコミックスで、作者さんは諏訪緑と言う方です。

14巻で完結していますが、そもそも発行部数が少なかったので、出会えるかどうかわかりませんが、もし出会えることができたら、一番とっつきやすいです。



三国志は、まず劉備と関羽、張飛が出会うところから始まりますが、そこから赤壁(レッドクリフ)まではかなりあります。

そこがまた面白いんですけどね。

赤壁は、中盤の見せ所です。



この少女漫画は金城武さん演じる諸葛孔明が主人公で、三国志では中盤辺りから始まることになります。

赤壁の重要人物である周ユが、2巻で出てきます。

とりあえず人間関係を全くわかっていなくても楽しめます。

物語としてもとても面白いですよ。

漫画ですと、青年漫画で「蒼天航路」(完結)、「覇 Load」(未完・15巻まで)があります。

どちらも面白いですが、長いという以前に、キャラクターが多く(小説にも出てこない脇役がいたり、オリジナルキャラがいたり)、最初に読むのはどうだろうと思います。

3つとも、かなり嘘が入っていますけど(笑)



最初からじっくり楽しむのであれば、北方謙三がいいと思います。

一応正史がベースなのですが、脚色が多くて、その脚色が面白いんです。

周ユと孫策は文句なしにかっこいいです。



三国志演義に忠実なのは、吉川英治です。

文体が古いので、女性だととっつきにくいかなと。

柴田錬三郎のも同じなのでどうかなあ、と思いました。

吉川英治の三国志に忠実に書かれた漫画が、横山光輝(漫画文庫で全60巻)です。

絵に抵抗がないなら、これを一番おすすめしたいです。

私の周囲では、絵に抵抗がある女性が多いのですが。








判りやすいのは横山光輝のものでしょうね。

素直に三国志演義を読むのもいいと思いますが、何分長いし判りにくいので漫画の方が良いかもしれませんね。







今月に入って三国志に興味を持ちました!



現在「蒼天航路」ってマンガを読んでます。

アニメで第一回を放送されてるのをたまたま見て興味持ちました。

かなり長いですが面白いです。

ちなみにレッドクリフでは悪役の曹操が主役のマンガです。



質問者さんと逆ですが私は今夜レッドクリフを見てみる予定なんです♪

機会あれば「蒼天航路」読んで見て下さいオススメ☆







横山光輝の漫画『三国志』。

陳舜臣の小説『曹操』







三国志漫画 劉備くん



アマチュアのweb漫画ですが妙な面白さがあります。

三国志全然興味なかったんですがつい読んでしまいます。







「レッドクリフ」をみてないですが赤壁の話ですよね?そうすると孔明が出てきて活躍しますね?「三国志」は結構長いですし孔明が出てくるのは中盤になってからです、それまでを我慢して読み続けられるのなら吉川「三国志」でも北方「三国志」でもいいと思いますがもう少しはやく孔明を読みたいというのなら柴錬の「英雄三国志」というのはいかがでしょう?ほんの少しですが孔明が早めにチョイ役で出てきます。







女性だから、これ・・・というものは特にないと思います。まあかつて出た、BL的なノヴェル(江森備「天の華、地の風」)は別ですけど。

普通に、定番の吉川英治や北方謙三の小説、あるいは横山光輝のコミックでいい、と思いますが。



「女性しか、きっと読まない」というものをあげると、

前述の「天の華~」のほか、コバルト文庫の朝香祥「旋風は江を渡る」上下とか、藤水名子の「赤壁の宴」とか・・・。

コミックなら、「蒼天航路」なんかは、マッチョな武将が出てくるので、そういうのが好きな人には・・・。



「レッドクリフ」は、ノベライズ版も出ていますよ。







やはりとっつきやすいのは漫画でしょうか。

横山光輝著のが解りやすくてよいかと思います。

ただ、全60巻ありますからね~。

揃えるとしたら金額的にすごいものがありますね。

それと、レッドクリフの解釈はかなり独特なので、漫画を読むと「違う!」ってことになるかも知れません。

私は逆に映画を見て「違う!」って思いましたけどね。

最近、三国志を読んでいます。劉備と張飛と関羽は義兄弟でしたが、彼らの息子達同...

最近、三国志を読んでいます。劉備と張飛と関羽は義兄弟でしたが、彼らの息子達同士はどういう感じだったのでしょうか。


あまり、特別な感じではなく、ただの君主と家臣だったのでしょうか。

それとも、義従兄弟だったのでしょうか。

あまり記述が無くて判らないのですが、劉禅が彼らと親しんでいた様子があまり無いように感じ、寂しく思います。







関羽の息子の関興と、張飛の息子の張苞が義兄弟のはずです。

彼らと劉禅は、普通の家臣と君主の関係に留まっていたようですね。

三国志について質問です。100枚あげます。曹操は他の武将よりも身長が低かったのは...

三国志について質問です。100枚あげます。曹操は他の武将よりも身長が低かったのは本当ですか?


でも、でも呂布とか趙雲・関羽・張飛などの猛将は、すごく身長が高そうだと自分は思いますが皆さんはど思いますか?



2.黄巾の乱をおこした張角・張宝・張梁は本当に妖術を使っていたんでしょうか?









『正史三国志』の主要登場人物で、

身長を含めて容姿の記載がある人は、意外と少数です。

ご質問に挙げられている「曹操」や「呂布」の記載はありません。



『正史』に記載がある人物を容姿も含めて抜粋すると、



曹操・・・軽佻浮薄な人柄で威厳がなかった。裴松之の註『曹瞞伝』

荀彧・・・容姿端麗な偉丈夫。

袁紹・・・堂々として威厳のある風貌。

劉表・・・身長8尺(184cm)、容姿はたいへんりっぱ。

公孫瓚・・・容姿美しく。

程昱・・・身長8尺3寸(191cm)、顎と頬に見事な鬚があり。

許緒・・・身長8尺(184cm)余り腰まわり十囲、容貌はおおしく毅然。

典偉・・・容貌りっぱ。

劉備・・・身の丈7尺5寸(172.5cm)、

手を下げると膝までとどき、振り返ると自分の耳を見ることができた。

関羽・・・頬ひげが美しかった。

諸葛亮・・・身長8尺(184cm)もあり。

趙雲・・・身長8尺(184cm)あまり、姿や顔つきがきわだって立派。

龐統・・・地味でもっさりしていた。

孫権・・・顎が張って口が大きく。

周瑜・・・立派な風采。みな彼を周朗と呼んだ。



馬超、張飛あたりの容姿の記載もありません。



上記の人物で、正史を著した「陳寿(233年生まれ)」が、

見かけた可能性がある人物は皆無ですし、

通釈をつけた「裴松之(372年生まれ)」にいたっては、

影も形も存在しない時代です。

歴史書ですから、いい加減なことを描くわけにも行かず、

見たこともない人物ですから、

かろうじて何らかの文献で確認できた事しか描けなかったはずです。



『三国志演義』では、

たしかに曹操は身長が低いと読み取れる記載もありますが、

これは、『曹瞞伝』の「軽佻浮薄な人柄で威厳がなかった」、あたりから、

演義では敵役である曹操を、意識的に陥れようとしたとも読み取れます。

敵役が威風堂々としていてはカッコがつきません。



呂布や、関羽は、

『演義』では、当時の驢馬に近かったであろう座高の低い馬と違って、

立派な体格であったろう汗血馬「赤兎馬」が愛馬ですので、

背の低い短足では跨れませんし、物語に魅力が足らなくなってしまいます。

その武勇も相まって、立派な体格で見栄えがよくなければ困るのです。

今一つ線の細い趙雲の8尺(184cm)より2~3寸でも長身でないと・・。

関羽は、立派な頬髯があったとされますが、

イメージとして、頬髯より顎鬚の美しい「美髯公」こそ関羽です。



張飛は、身長も容姿の記載もありません。

虎髯のイメージがありますが、髯をはやしていたという記載もありません。

本当は背の高い痩身で男前だったかもしれませんが、

それでは、この中国史カテでは三国志最強説の声が多いですが、

その評価に、合致しません。

メタボ気味で、虎髯で、乱暴者でなくては張飛ではないのです。



身長の話ではではありませんが、周瑜は「美周郎」と呼ばれたとされますが、

『正史』ではあくまで「周郎」であり、白面の貴公子であったかは不明です。

(恐らく美男子だったでしょうが・・。)

『演義』の諸葛亮との頭脳戦に敗れ、

非業の死を遂げる三国志一二を争う人気者が、

「醜周郎」「汚周郎」では駄目なのです。



諸葛亮や趙雲が8尺(1尺≒23cm=184cm)あったらしいのは、

これは、イメージを崩さなくて救いですが・・・。



このように、『三国志演義』で語られる人物評(特に容姿)は、

やはりイメージ先行で、

3~4割脚色された『物語』として捉えるべきだと思います。



張角・張宝・張梁は、あくまで宗教指導者です。

風雨を呼び起こす力を会得、

民には符水(呪いを施した水)を飲ませて病の床に臥している人を救ったとされますが、

たまたま山の中出会った、南華老仙という人物から『太平要術の書』を授ってという、

仏教や、キリスト教などの教義が確約している宗教と違って、

いわゆる「妖しげな宗教」です。

それこそ、無知で純粋な農民に対して、

「妖しげな術(マジック)」を使ったかもしれません。マジックには種がある筈です。








曹操は身長は7尺(後漢時代の1尺は約23㌢)ですので161㌢となります。

関羽は九尺で207㌢

趙雲は8尺で184㌢

張飛も同じく8尺で184㌢。張飛の方が肉付きがいい分体重が張飛が上でしたのでしょう。

呂布は分かりませんが関羽や張飛と同じく身長があったと思われます。



黄巾の乱を起こした張角たちは実際に妖術を使ったのではなく、一種の新興宗教でした。

病気になった人たちに以前の罪を告白させてその時に護符を溶かした水を飲ませて治療していました。

そういったことを元にして三国志演義の創作で妖術を使っていたとしたのでしょう。







自分の知ってる人物の身長。



劉備・・・175くらい

張飛と孔明・・・186くらい

関羽・・・207くらい

超雲・・・190くらい



呂布・・・210以上



そして

曹操・・・170もない、160半ば

です。



まず驚きなのは、昔の人ってそんなに大きいんだって思う。

それと孔明が意外と背が高い。







曹操は背が低かったんでコンプレックスがあったらしいです。

猛将・豪傑は、身長だけでなく体重もあったと思われます。でなければ多数の兵の中で、抜きん出た攻撃力を誇示できず認められないから。現代で言うなればたくさんの一般人の中に、武蔵とか朝青龍とかがいたら間違いなく目立った働きをするでしょう。体格や能力は人によりそれぞれです。でも物語のようにはいかないでしょうけど。

妖術はあれば面白いのですが、現代の新興宗教と同じでしょう。盲目的に従うような狂信者を多数作れば従う人は増えて行きます。病気を治すのも祈祷と変わらないような時代に、外科手術や薬品で直したら妖術に見えます。なお曹操はそういう人をだますような宗教や偶像崇拝の像などは打ち壊しています。また諸葛孔明も妖術や宗教にとらわれない現実的な政治をしようとしていましたが、現代では妖術使いのように言われているので心外だろうと思いますよ。

三国志でいいツアーありますか?

三国志でいいツアーありますか?

今度三国志をめぐるツアーにいきたい。と思っているのですが、セントレア発でいいツアーありますか?

よければ教えてください。







三国遺跡をとして、成都の武候詞と張飛廟です。また、三峡下りの白帝城と武漢から赤壁などです。

http://www.sctabi.com

こんな三国志の結末はいや?

こんな三国志の結末はいや?

もし三国BASARAというゲームが出てアニメにもなったら

こんなアニメのストーリーは嫌でしょうか?



ストーリー



赤壁の戦いで負けた曹操は漁夫の利と言う策を用いて

呉と蜀を戦わせ互いの兵力を削ることに成功する

(もちろんこの戦いで呉の周喩、大史慈、甘寧、蜀の黄忠、関羽、張飛は戦死する(張飛は部下の裏切りが原因))

まんまと曹操の罠にはめられたと知った孫権は再び蜀と同盟を結ぶが魏に滅ぼされてしまう

それをしった姜維は亡命してきた周泰と共に呉のあだ討ちを決意する

その熱い熱意に影響されてか曹操に滅ぼされた国々の兵士たちも集結する!

そして劉備と曹操は決闘をするが曹操は病気が原因で負け。劉備に情けをかけられる。

そして魏を打ち破った劉備は献帝に帝位を譲り渡され皇帝となり蜀王朝が誕生したのである...。

しかし姜維達の戦いは終わらない!!平和な蜀を守るため

夏候惇と周泰と共にフン族や異国民族との戦いに幕は切って落とされたのであった!!!





END





こんな結末の三国志ってどうですか。やっぱイヤ...?。







結末が嫌とはいいませんが、

個人で楽しまれる分にはよろしいのではないでしょうか。



ただし、質問者さんのストーリーでいうと、

呉が滅んだ早い段階で、三国では無くなりますので、

もはや「三国志」の体裁は崩れてしまっています。



「三国志」という、所謂ブランドにこだわらず、

蜀の目的が漢王朝の復興ですので、例えば「後漢興亡志」とか、

後半は蜀の独壇場のようですから、

「蜀漢英雄伝説(どこかで聞いたような名称ですが・・)」などに、

されるべきではないでしょうか。



空想の物語である以上、

登場人物の時代設定がおかしいなどという無粋なことはいいませんが、

何故、呉からの亡命者(逃走者?)が「周泰」・・?

魏(というより曹操)に忠誠を尽くすイメージの「夏侯淳」がどうして・・?

物語の展開上「姜維」が主人公になるのは仕方ないですが、

このある意味地味な3人が、

物語を引っ張っていって盛り上がるのかが、他人事ながら心配です。



「三国志」という金看板的な名前があるから、

ゲームでもアニメでも、ぎりぎりユーザーが食いつくのでしょうから、

生々しい話ですが、商業的に成功するかは非常に微妙かと思います。



個人的には、「if」物に抵抗がありますので、残念ながら食指が動きません。








個人的には蜀が統一というのは嫌ですね。

呉がやっぱ好きなので、早く滅ぶのは・・・。



ちょっとストーリーで分からないところがあります。

いつ、なぜ、夏候惇は仲間になったのか?

ってとこが気になります







張飛が部下の裏切りが原因と言うのは・・・関羽の仇討ちの際の話でしょうか。

そうなると赤壁から約10年後の話でしょうか。



赤壁直後だとすれば、姜維はまだ10歳にも満たない上、姜維は赤壁の戦いが起きてから20年は魏に仕えて居たので、関羽の仇討ちの頃に成っても、姜維が呉の仇討ちに協力する事はまず無いかな・・・と。それに、呉の人物が天水の当時の姜維を知っている可能性は低いですからね。



それと、演義が元なら諸葛亮ももう少し出す必要は有ると思います。



まぁ、個人的には蜀漢が好きなので、蜀漢が魏に勝つのは嫌いでも無いです。







所詮、天下を統一できる天命を持った者はいなかったとさ・・・。

チャンチャン。







破天荒な話は好きな方ですけども、三国志を土台にするのなら

180~280年頃の時系列を纏める事と、いつの時代に誰が活躍したのかも

調べた上で架空の話として盛り上げれば面白いif話を構築できるかもしれませんね。



質問者様の話の内容ですと、姜維が前線で戦っていた時代に

夏侯惇、周泰が生きているとなると、とてつもない長生きになると思いますよ。

共に生誕時期が不明ではありますが

まず第一線では戦えないほどの老人になっていたのでは?



赤壁以降、比較的トントン拍子で進んで217年頃に天下の形成が定まって

お書きの通りに劉備が天下を定めたとすれば超若手の新気鋭である姜維(15歳)と

ベテラン将軍夏候惇、周泰との共闘も実現しそうですね。







ええっと・・・。最終的に蜀が中国を統一するというパターンの小説でしたらすでに、「反三国志」というのが出ています。

読んだのは10年も前なんで内容よく覚えてませんが。



ゲームは良く知らないけど、ゲーム製作者は仮にも三国志をゲームにしようとしたんだから、三国志に関連する本、小説、資料はすべて網羅してから製作したんだと思います。



それを土台にゲームは造られてると。



「反三国志」、三国志演義を読んだ後だったらちょっと、面白い・・・かな?。



しかし、2番煎じ、三番煎じである事の覚悟が必要。私としては、あまり賛成出来ないです。







申し訳ないですが、話に無理がある上に面白みに欠けるストーリーかと考えます。



質問記載を否定させて頂きますと、赤壁直後の劉備軍は領土が無いに等しい状態です。仮に曹操の姦計に嵌ったとしても、曹操軍撃退後、国力で大幅に上回り士気が異常に高い呉軍に負ける・疲弊する等の可能性は万一にないかと思います。

また劉備と孫権を争わせる計略を呉の文官を始め、周喩や魯粛などが意図を見抜く事ははわけないかと。



ちなみ赤壁の戦い時に姜維はまだ6歳ですよ。仮に赤壁後10年後に呉が滅んでも周泰が姜維を頼る事はまず無いかと考えます。



私も先の回答と同様、一度何かの三国志に関する書物を読まれる事をお勧めします。



参考にどうぞ。







一度どれでもいいので三国志を見ることをお薦めします

作者次第ではそのストーリーでも十分面白いものが書けると思いますが

おのおのの人間関係を理解していないと話に無理が出ます







北伐もしてないのになぜ姜維が蜀に・・・???

三国志か演技、長坂の戦いについて質問です

三国志か演技、長坂の戦いについて質問です

三国志で曹操が荊州中央部(南郡など)を占拠し、

そこから逃げる劉備と追う曹操。

赤壁につながるクライマックスの序章、長坂の戦いについてすごく疑問があります。



劉備軍には曹操の支配を嫌う百万近い(数はともかく大勢の)民が付き従っている事になっています。

張飛が一本橋で曹操軍を足止めしたのも、その大勢の民を避難させるため、だったと思うんですが、

張飛や趙雲の活躍が語られ、劉備がなんとか長江を渡って曹操軍の追撃をひとまず振り切った後、

演技は孫権軍に舞台が移り、赤壁へと話が転換していきます。



赤壁で大敗を喫した曹操軍を劉備軍は待ち受けて苦しめるわけなんですが、

あれ?じゃあつき従っていた大勢の民はどこへ行ってしまったの?って感じです。



張飛や趙雲の活躍の辺りを最後に民が語られなくなるんですが、

彼らはどこへ行ってしまったのでしょう?







劉備軍が連れて行った形跡がないので曹操軍によって

元の領地に戻されたか、またはどこかの開拓地にでも

連れて行かれたのではないでしょうか?

曹操も荊州を支配下に置くのにかつて徐州で行ったような

大量虐殺は行わないだろうし、人がいてこその領地ですから。

人心をつかむことを第一に考えていたはずです。








最初から劉備の民を連れていった理由はたとえ民を置いてもどうせ追いつかれるから民を使って紛れ込んで逃げるつもりだったみたでした







陳舜臣さんの三国志ですと、元々孔明は、10万の民と夏口まで行く気が無く、寧ろ利用しようと考えていたようです。



孔明は迫り来る曹操軍を前に、大勢の民で、劉備軍を隠して、上手く逃げようという手立てだったらしいです。

で、見事にひっかかり、曹操軍に残ったのは、民から逃げられたという信望の無さ、それと行き場の失った大勢の民でした。

つまり孔明は散々に民を使った後は、曹操に後始末を押し付けた感じですね。



結果、孔明も中々の策士だった。

民のその後、知らん。







少なくとも曹操の性格、戦略からだと屯田のためどこかへ連れて行かれるのではないでしょうか。

もしくは反乱を起こさせないためにバラバラに散らばされたのでは?







とりあえず詳しくは知らないけど、劉備軍が何万もの民をつれていましたが、そのうちの何人かは曹操軍に殺されたと思います。それで赤壁に舞台がうつり、孔明が同盟を申し込みにいくわけですが、その時に劉備軍の兵士は1万はいたはずです。城も無しで1万の兵力を持ってられる訳がない、それ以前に何も無しにどっかに逃げたとは考えられませんね。多分誰かが、劉備を受け入れてそこに呼び込んで資金とかも援助してたんでしょうね。多分、そこの県か州か知らないけど、そこに住まわせたと思います。

三国志の劉備。最高の巡り会わせは、孔明ではなく、関羽、張飛たち義兄弟との出逢...

三国志の劉備。最高の巡り会わせは、孔明ではなく、関羽、張飛たち義兄弟との出逢いだと思いますがどうでしょうか?







確かに!



他人だったお互いの事を信じ、桃園に誓い志を同じにして駆け抜けた三人の出逢いは、本当にドラマチックというか羨ましい巡り合わせですよね。



劉備と孔明の「水魚の交」、孫権と周喩の「断金の交」以上だったんでしょうね。



それに、三国の中でも輝く才の三人が巡り合ったことも、何か人知を超えた巡り合わせ以外には考えられないですね!



久々に三国志を読みたくなりました(笑)








どっちもどっちだと思います







一介の筵売りだった劉備が劉表の元に身を寄せる頃には「皇叔」と呼ばれるほどの名士になれたのは、間違いなくそれまでの関羽、張飛の武力によるところが大きかったと思います。

ただ今まで袁紹に対峙していた曹操が河北を征し、本格的に南下しようとすると、とても劉備ではかなう相手ではなかったのも事実です。江夏の劉奇のもとに逃げ込んだ時は絶体絶命のピンチだったのです。

その時に呉を大論陣で看破し降伏論から徹底抗戦の機運に変えた諸葛亮の働きは正に大金星の成果を得ることになります。

この功績により荊州を手に入れ、三国の様相を呈したことが、諸葛亮の生涯のなかでも最大の功績だと思います。

そういった意味から関羽、張飛、諸葛亮のどの人物を欠いても劉備は大成しなかったでしょう。







「桃園の誓い」で劉備玄徳と関羽、張飛の義兄弟の契りを交わす有名な場面。この義兄弟の誓いはクライマックス的だが、関羽、張飛たちとの運命的出会いを劉備はもったが、彼のお家再興の大願成就には、彼ら無類の豪傑の二人は100人力の味方には違いないが、その劉備の志を実現させるべきグランドデザイン(大構想・天下三分の計)を描く、つまり計画立案者の天才的智謀者の存在が必須。それが諸葛亮孔明、彼の存在なくして劉備の夢・野望は実現出来なかった。従って、彼との巡り合い「三顧の礼」(劉備が孔明を誠心誠意で口説く場面)も重要な処。孔明と言う天才軍師を得、武力の傑出した豪傑二人を抱えて、初めて車のエンジン(孔明)がかかり、車輪(関羽、張飛)が回転し、劉備の夢の実現に向かってスタートしたと思います。







最高の仲間を手に入れたという点ではそうでしょうね。

三国志の、魏、蜀、呉の強い武将のそれぞれの国のベスト3を教えて下さい。

三国志の、魏、蜀、呉の強い武将のそれぞれの国のベスト3を教えて下さい。









①李通…正史

②徐晃

③張遼



①甘寧

②周泰

③朱然…正史



①張飛

②馬超

③関羽

だと思います。



※李通と朱然は演義では損をしています。

筑摩書房の正史三国志を読むと強さが分かると思います。








武将としての、戦略的、軍略的、戦闘能力的な観点に実績を加え、総合的に考えると、

魏 1 張遼 2 夏候惇 3 徐晃 (←ただし前期。後期は鍾会なども入れるべきだから)

呉 1 孫策 2 呂蒙 3 甘寧

蜀 1 関羽 2 趙雲 3 黄忠







魏 1、許楮 2、張遼 3、夏候惇

呉 1、孫策 2、孫堅 3、周泰

蜀 1、張飛 2、関羽 3、趙雲or馬超







ランキングをつけるのは難しいです。。。。。







どういう基準で強いのかを教えて下さい

三国志大戦について! 最近三国志大戦を始めたまだ初心者です。 自分なりに色々試...

三国志大戦について!



最近三国志大戦を始めたまだ初心者です。

自分なりに色々試したのですが、中々強いデッキが作れません…

呉と蜀のカードはまぁまぁあります。


R以上は1枚もないのですが…

蜀は関羽、張飛、関平、王平、黄忠、陳到、甘皇后、穆皇后、

呉は軍師魯粛、太史慈、甘寧、文欽、朱桓、呂蒙、賀斉、太史享、魯粛、凌統、蒋欽、董襲

のカードをもっています。

この中の武将を使って初心者でも使えて強いデッキを呉、蜀一つずつ教えて頂きたいです?

R以上ないので、購入します。この中から使えるの1枚とかでもいいので…



またSRの張コウをこの前ひいたので、ギ軍はほとんどもってないのですが、何かこいつを使っていいデッキ作れませんか?





質問多くてすみませんがアドバイスお願いします!!!!







紹介するデッキはある程度の突撃技術、ある程度の迎撃技術を用います。



関平

王平

張コウ

穆皇后

黄忠



まず張コウ以外に伏兵を踏ませて下さい。

序盤に穆皇后を早々に伏兵を暴かせて、穆皇后で見つけるのがいいです。

黄忠で見つけるのもアリです。

柵は一枚しか無いので序盤は攻めより防御に徹して下さい。



中盤以降は忠義の舞で攻めます。王平、関平に相手槍のオーラを接触して消して貰い張コウの突撃で蹴散らして下さい。槍で二発程取れれば後は張コウで守り通して下さい。

奥義は再起が妥当。








まず三国志大戦wikiの初心者の項とデッキの項とテクニックの項を読みましょう。始めたばかりなら、カードを買うのもいいでしょうが、まずは動かし方です。基本のテクニックがあれば一品まではC・UCだけでも十分戦えます。

キーとなるカードが揃うまで甘皇后の回復の舞でやったらどうですか?

甘皇后・王平・関平・張飛・黄忠で品ならテクニック身につけば十分戦えますよ。ただ、現在それほど強いと言われない回復舞ですので、あくまで初めの基本のデッキとしてこれから育てて行けばどうですか。張コウなどを入れても回復は強いですよ。

三国志大戦3 来週ある天下統一大会なんですが、条件が9コス以内、1.5コス以...



三国志大戦3

来週ある天下統一大会なんですが、条件が9コス以内、1.5コス以上、撤退時以外の自城入り禁止でそのかわり復活カウント短縮みたいです。


どんなデッキ、カードが出てきますかね?やはり募兵や復活持ちあたりが台頭してくるでしょうか。アドバイスお願いします。







募兵は有効でしょうが、復活は大して影響が無いと思います。



想定ですが、帰城できなくて復活が早い環境だと、士気が軽めで効果が強力な自爆計略が強いでしょう。

早い話が「SR豪炎周瑜」+「MAX英魂陸遜」+「2コス2枚」+「軍師陸抗のMAX英魂」です。



今までの9コスト大会でも『3コストでを使っても残り6コストもあるから英魂陸遜と4コスト分の戦力が持てる』って事で猛威をふるってきましたが、今回のルールだと「周瑜の復活速度アップ&コンボで押し込んだ後のカウンター阻止も容易」とますます手が付けられなくなります。



脳筋武将を瞬殺できるのならそれでいいし、帰城できないから中途半端な知力の武将の兵力を削って生殺しにする事の方が相手側にとっては撤退させられる事よりもキツイです。

削られた兵力でMAX英魂を止める事は至難の業です。



このデッキに通用しそうなデッキってのを考えるのが今後の課題でしょう。







今現在は模索中の段階なので何とも言えませんが、復活・回復要素があって相手を押し込める攻撃型の少人数精鋭デッキが強いのは間違い無いと思うと言う理由で、即復活&兵力回復の両方の要素がある「五虎将軍デッキ」を試してみたいと私は思っています。

「五虎将劉備」「旋風趙雲」「弓黄忠」「当千馬超」「2コス槍張飛」

奥義で「転進」が機能するか使えるかどうかはルール上やってみるまで分からないので、可能であれば「軍師徐庶の転進増援+奮攻奮攻(コレが壊れ兵書)」を「五虎将」と並ぶリセットボタンとして準備したいです。



1回目の攻めで「劉備」をフォロワー「黄忠」はマウントとして残り3人が攻め上がる→

「五虎将」はあえて温存して「旋風」「当千」を使って相手兵力を削りにかかりこのタイミングで「黄忠」も攻城に参加する→

撤退しそうになった武将は程々に自城側に退却する(帰城できないってルールは承知の上で帰る)→

相手の兵力が削れたら「転進増援+奮攻奮攻」を発動して一旦全員が帰って即出城(全快でなくても兵書効果で進軍中に回復するからいい)→

相手側は帰城できないので兵力回復がままならないから少ない兵力で戦う事を余儀なくされる(1回目は攻城より兵力ケズリが主目的)→

2回目は「奮攻奮攻」で長時間徐々に兵力回復する効果をメインにして計略を温存して戦う→

今回は五虎将軍が撤退しても問題ないので帰城を考えずにひたすら押しこんで攻城を稼ぐ→

数人撤退したタイミングで「五虎将」発動で撤退した武将をそのまま前線に送り込んで3回目の総力戦にそのまま繋げる。



相手にダメ計(特に豪炎周瑜)がいる場合は1回目の攻城の時「他の計略」を使って(まあダメ計相手なので「当千」でしょうが)、相手側に「五虎将」を打つ士気が無いとブラフをかけて「張飛」「劉備」の2人に打ってもらう様にポジショニングをしてわざと打ってもらう様に誘います。

大量の士気をこのタイミングで使ってくれると他の計略の心配が減って後々非常に楽になりますし、素武力では五虎将だらけのコッチの方が上ですので武力差を補うために「英魂号令」まで使ってくれたら少しだけぶつかって即転進です!

「劉備」はまず生き残りますし、ルールで復活があるから2回目の進軍の時には「奮攻奮攻」は付かないでしょうが、少し遅れたタイミングで「張飛」は間に合うはずです。



1回目→2回目の攻城までのギミック&立ち回りがビックリドッキリ要素なので、知恵袋みたいな場所でルールを悪用してねじまげるレベルの秘策のネタばらしをしちゃうのもどうかと思ったのですけど、私の君主名は今まで隠しているのでまあ問題ないかなと。





補足>1.5コストの五虎将軍は「旋風趙雲」しかいないので、5枚で組む場合は絶対に外す事が出来ない確定カードです。



4枚で組む場合は1.5・2.5・2.5・2.5、もしくは1.5・2・2.5・3の構成で「五虎将軍」を組む事ができますが、2.5コストの槍が「挑発張飛」「スターター関羽」しかいないので兵種バランスを考えると両方入れなければいけないので、正直物足りないと思います・・・待てよ、挑発・長槍共に士気3と軽い計略なので、五虎将の前後で使う事を前提にすると悪くはないかも!

3コストは「忠義関羽」だけなので、コレだとデッキとして苦しくなるから除外ですね。



号令デッキは対象人数が多ければ多いほど強くなるシステムのゲームなので、従来の8コストでは実現不可能な5枚五虎将の方がデッキパワーは格段に跳ね上がります。

したがって、「旋風趙雲」を持っていない場合は4枚でもこのデッキは諦めてください。

三国志に出てくる武器

三国志に出てくる武器

三国志に登場する武器ってどんな感じの武器だったのですか?例えば関羽の青流円月刀や呂布の方天過激等はあの時代に実際に製造されてたのでしょうか?







回答の前に訂正しておきますね。

青流円月刀→青龍偃月刀

方天過激→方天画戟

ですよ(^_^;



武器としては青龍偃月刀は青龍刀、方天画戟は戟という種類になります。

青龍刀は日本の薙刀(なぎなた)のような形状で、刃の部分が肉厚で幅広く、馬上から振り下ろして敵を叩き斬るのに適した形状をしていました。戟は槍に似た武器で、穂先が複雑な形状をしており突く、払う、撫で斬る、敵の武器を絡めて折ったり奪ったりと色んな使い方ができました。



質問者さんのおっしゃる『三国志』は明の時代(三國時代の約1000年後)に書かれた小説『三国志演義』のことです。明の時代には青龍刀も戟もメジャーな武器で、誰でも形状や威力を知っていました。ですので読者には関羽や呂布が使っていると聞いてもイメージがすぐ沸きました。

ですが実際の三國時代にはまだそれらの武器はありませんでした。三國時代は中国にとってもまだ古代に属する時代ですから、そんな複雑な用途や形状の武器はなかったのです。



同様に、張飛が使ったとされる蛇矛も、矛自体は三國時代にもありましたが、蛇矛のような蛇行した形状の両刃の矛はありませんでした。

袁術配下の紀霊が使ったとされる三尖刀、曹操が董卓を暗殺しようとして持って行った七星の剣、曹操配下の徐晃が愛用した大斧、同じく曹操配下の王双が愛用した流星錘なども、後世に作られた武器で三國時代にはありません。



一方、『三国志演義』に登場していて三國時代からあった武器と言えば、代表格は諸葛亮が改良した連弩です。今で言うボウガンのような形状で、矢を装填して引き金を引いて発射するものを弩と言い、諸葛亮はそれを改良して、一度に10本程度発射できるようにしたそうです。





その他の武器








関羽の使っていたとされる青龍円月刀は宋代の武器、呂布の方天画戟も同じく宋代の武器です。張飛が使っていたとされる蛇矛に至っては明代の武器です。当然いずれの武器も正史には登場しません。

三国志演義は歴史書ではないので(三国志正史を元にした小説)フィクションというか適当な捏造がふんだんに盛り込まれています。話としては面白いですが、実際の歴史とは切り離して考えた方が良いでしょう。

三国志11 超級 群雄割拠 呂布でやり始めたのですが

三国志11 超級 群雄割拠 呂布でやり始めたのですが

曹操、エンショウの挟撃で瞬殺です。

エンショウと同盟って手もあると思いますが、

それはあまりやりたくありません。

攻略方法教えてください。







劉備を速攻で倒しましょう。195年に劉備と陶謙は併合するのでその前に…。戦法の傾国を使うと楽ですよ。

滅ぼすと、関羽や張飛、停戦作戦も使えるようになるのでまだマシに。

濮陽は袁紹に狙われるかもしれないが、維持しようとるすのは、あまりメリットは無いです。

ギリギリまで耐えて、全物資を持って逃げましょう。



黄河を突っ切っていきなり洛陽に引っ越す荒技も…。袁紹軍と衝突しない様に、南岸を速やかに突破しましょう。

この場合、東に曹操、西に李傕と言うことになるため、挟み撃ちを回避するために、濮陽には初手で外交府を建て、引っ越し中に李傕と同盟を結んでおくと良いです。これはかなり危険な手ですが…。

三国志の関羽雲長は実は偽名だとなんかの本に書いてあるのを見ましたが 本当でしょ...

三国志の関羽雲長は実は偽名だとなんかの本に書いてあるのを見ましたが

本当でしょうか?







暴利をむさぼる横暴な豪商を殺して官吏から逃れおたずねものとなっていたため5,6年各所を渡り歩き、たまたまであった劉備、張飛と出会い義勇軍として黄巾賊の討伐に参加します。



この官吏から逃れて各地を渡り歩いていたときに名を変えたという説があります。








 正史「三国志」関羽伝の冒頭に書いてあります。

 関羽、字は雲長、元の名は常生という・・・。



 「三国志平話」(講談のネタ本、「演義」のもと)では、故郷で人を斬って逃亡した常生は関所で止められ、名を聞かれました。そこで「~関」という額を見て「姓は関」と答えました。「字も名乗れ」と役人に言われ、しばし空を見上げると雲が長く流れている・・・「字は雲長」と答えて切り抜けたという・・・まあ、作り話でしょうけど。

三国志で、蜀には五虎将軍がいます。(関羽、超雲、黄忠など) 魏にも同じく五将軍...

三国志で、蜀には五虎将軍がいます。(関羽、超雲、黄忠など)

魏にも同じく五将軍がいます。(張遼、徐晃、張コウなど)

けれど呉には、そのような武将達を聞いた事がありません。

呉に、そのような五人はいますか?

もしいるとしたら、そのメンバーも教えて下さい。







陳寿の正史「三国志」の魏志の中では張遼・除晃・う禁・楽進・張こうの5人で伝が立てられています。五将軍という官職はありません。

同じように蜀志にも関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲の5人で伝が立てられています。五虎将という官職もありません。

二つとも三国志演義で面白くなるように作られた官職です。

ところで、呉志には5人で伝を立てられている将軍はいません。9人くらいで伝が立てられているので、特にそのような官職はないのです。自分で考えてみてはどうでしょう。楽しいと思いますよ。

ちなみに私なら甘寧・周泰・黄蓋・太史慈・程普かな?








五虎大将軍は15世紀にまとめられた小説『三国志演義』ではじめて見られます。

五という数字は陰陽五行説に基づき中国の歴史物では良く出てくる数字です。

物語としての三国志は劉曹(蜀魏)を主軸として進みますから呉はいささかおざなりになってしまっている部分もあるようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%99%8E%E5%A4%A7%E5%B0%86%E...







五虎大将というもの自体が三国志演義での架空の呼称ですよ。







いませんね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







呉は役職が別物なので作りづらいです。



甘寧、太史慈、呂蒙、陸遜、周瑜などは有名ですけど、

呂蒙、陸遜、周瑜の3人は水軍大都督(最高司令官)になってますので

5人並べるのに無理があります。







孫堅 孫権 陸孫 黄蓋 孫策

かなぁ

陸孫じゃなくて周ユ か 孫尚香

かもなぁ

三国志大戦3の最初の配置を教えてください

三国志大戦3の最初の配置を教えてください

三国志大戦3をはじめてよく動画でランカーたちの配置を見ますが、その人たちの意図がわかりません



多少ならわかりますが、え?なんでここに?っていう配置がよくあります



私のデッキは主に魏の騎馬単です。



たとえば求心デッキの場合、最初の配置はどのようにすればいいのでしょうか?



相手のタイプによって変わりますが、おおまかに配置とそのねらいを教えていただけませんか?



デッキ診断ではないので、カードの入れ替えは良いです。



オーソドックスな形を教えていただければ、後は自分なりにアレンジ加えます



お願いしますm(__)m







使用デッキは「騎馬単求心」、伏兵枚数は「曹操」「1コスト」の2枚と仮定します。



まず「曹操」は武力8の主力として立ち回りたいのと、自らの知力10で相手の伏兵を掘りたいので前線配置します。

逆に伏兵のままだと2.5コスト+号令落ちの状態で戦わないといけないハンデを背負うのでそれは何としてでも避けたいです。



相手にする側もそれは百も承知な上、普通の武将(特に高コスト)で知力10は踏みたくないので伏兵同士でぶつけ合う形に持ち込むのがお互いのベストな形になるでしょう。



問題は「1コスト」の配置となります。

私の場合は3パターンあります。



1>相手が「呉デッキ全般」等の素武力低めで防御型の布陣が予想される時は2枚共前線に配置します。

開幕は柵破壊&端攻城1発取ってのリードを狙いたいので、相手を伏兵で潰すって考えではなくて柵破壊に向かった武将をサポートする形で上がっていきます。

踏まれたら端攻城に向かうなり、そのまま柵破壊を続行したりなりと立ち回ります。



2>相手のワントップ・ツートップ形で、その主力武将が中知力(5~7)の場合は伏兵2枚同時当てで即撤退させるのが理想の展開なので狙っていきます。

「高順」や「曹仁(ゆとりケニアだったらターゲットは誰でもいい)」と言った「2.5コスト知力5」を落せたら最高。

2コストでも知力7辺りだったら伏兵踏み要員として相手は動くだろうからそいつを狙いたい。

「(張姫・パンダ孫権無し)連合デッキ」だったら主役の「鄧芝」が主な伏兵踏み要員となりますので、彼を最初に落としたら足並みも崩れますので一方的な展開にできます(張姫で2枚踏まれるのは最悪だが、パンダだったら別にOKか)。



3>相手の主力武将の知力が極端に低い場合は、常時動きを束縛したいので踏まれないように後方で隠します。

しかしながら今のバージョンでは、それで束縛したい流行中の相手が「挑発張飛」「張苞」「華雄」「典韋」しかいない上、いずれの武将も高知力主力(「諸葛亮」「徐庶」「李儒」「司馬懿」)の相方として機能している場合が多いので、有効度はやや減ったと考えています。

本当に有効な相手は「八卦諸葛亮」が最前線に来る事が無い「八卦デッキ中の張飛」位でしょう。

前バージョンは超絶強化&反計の時代で「典韋」「許褚」等が主力を張っていた上、群雄での「虚誘掩殺」の使い手が「李儒」では無くて「於夫羅」だったって事もあったので、彼らの城門突入を阻止する方法として伏兵隠し作戦は非常に有効でした。



注:ただし無双呂布だけはリードを取られると引きこまれて逆転のメドが無くなりますので、1人でもとりまきを落とせるように踏ませます。








相手が開幕柵配置などで最前線にいないなら、前線に。

開幕攻めてくるとおもえば、自城寄りに配置、先に当てるのは求心。



求心の場合、城内ローテを含めた守りがかなり強いので開幕の攻勢と守備に自信がある人は前線配置で1発取りに行くランカーもいるのではないでしょうか。

もしくは何度も対戦して相手もわかっているため、裏をかく伏兵配置もありえます。







私も曹操メインのデッキを使用していますが

オーソドックスな形は前線に高武力の伏兵は前線に配置

低武力を城門前配置。

高武力は早々に戦線に立ってもらい

低武力伏兵には万が一の城門守備に回ってもらう

だと思います。



相手のタイプのより変化するとしたら



・流行の連合デッキに対しては高武力低武力関わらず城門前に配置



先日もこれで勝たせてもらったのですが

連合デッキは序盤に攻城をして守るのが基本だと思いますので

序盤の攻めの際に部隊を撤退前に城に戻す→伏兵を踏ませる→救心でカウンター



これが上手くきまり、後は手堅く守りきりました。



自分の経験上の話ですが、こんなとこでしょうかね







曹操は高コストだから、なるべく早く戦闘に出したいから全線に置いておきます。

この場合、伏兵掘りにやられる可能性が高いけど、2.5コス抜きなら間違いないなく負けるので仕方がないです。





カクや劉曄など低コストの武将は、柵の前、脳筋の前、城門前など、重要な場所に配置します。

脳筋の前なら曹操でもokです。



こちらは、できるだけ相手の高コスト低知力にあてるように動かします。

欧米や日本には三国志に出てくる関羽、張飛、呂布のような豪傑はいなかったんでし...

欧米や日本には三国志に出てくる関羽、張飛、呂布のような豪傑はいなかったんでしょうか?







日本:

本性坊(元弘の変)

足助重範(元弘の変)

村上彦四郎義光(元弘の変)

本田孫四郎(南北朝)

平将門(平将門の乱)

武蔵坊弁慶(治承・寿永の乱)

木曽義仲(治承・寿永の乱)

今井四郎兼平(治承・寿永の乱)

巴御前(治承・寿永の乱)

和田義盛(治承・寿永の乱)

悪源太義平(平治の乱)

安倍貞任(前九年の役)

阿弖流爲(アテルイ)

愛洲久忠(陰流開祖)

上泉信綱(新陰流開祖)

柳生宗厳(柳生新陰流開祖)

塚原卜伝(鹿島新当流開祖)

小野忠明(小野派一刀流開祖)

宮本武蔵(二天一流開祖)

足利義輝(室町幕府13代将軍)

加藤清正(戦国~江戸初期)

福島正則(戦国~江戸初期)

本田忠勝(徳川家康家臣)

井伊直政(徳川家康家臣)

島左近(石田三成家臣)

後藤又兵衛(黒田藩→大坂の陣)



欧州:

ハンニバル(カルタゴの将軍)

マハルバル(ハンニバルの武将、ヌミディア騎兵の傭兵隊長)

マルクス・アントニウス(第二回三頭政治の一人)

アグリッパ(アウグストゥスの武将)

ボウディッカ(ブリトン人の女王)

ブルス(ヨーロッパを荒らしまわっていた時代のマジャール人のリーダー兼武将)

フリードリヒ1世バルバロッサ(神聖ローマ皇帝)

リチャード1世獅子心王(第三回十字軍)

ウイリアム1世征服王(ノルマンコンクエスト)

エドワード黒太子(英仏百年戦争)

などなど








戦国時代に本多忠勝という最強の豪傑がいるじゃないですか!







日本には、戦で一回も傷を付けなかった、本多忠勝がいますよ。

あと、加藤清正とか、捜したらキリがありません。



欧米にも、獅子心王と呼ばれた猛将、リチャード一世や、百年戦争の猛将であり、昔は無敵の喧嘩屋、デュ・ゲグランがいましたよ。



ただ、中国並に脚色されてませんが、捜してみたらどうですか?







「アーサー王と円卓の騎士」とか、「ニーベルンゲンの歌」などをお読みください。







そもそも、中国史に登場するそれら豪傑は、そのエピソードの多くが脚色されて後世に伝わっていますよね?





もちろん、日本にも欧米にも、名将やら猛将、天才用兵家やらはいましたよ。





でも、三国志演義に登場するようなスーパーマンのような人物はいなかったでしょうね。

三国志大戦3のデッキ診断をしてほしいのです。

三国志大戦3のデッキ診断をしてほしいのです。

1使いやすいか。



2かえるところ。



3バランスはいいか。

です



SR董卓 UC法正 C程遠志 C猛達 C簡ヨウ Cビホウ&士仁



どうですか? 是非お願いします。







暴虐の速度では槍は刺さらないという点は理解しているようですね。

とはいえ槍を入れ過ぎです。2枚程度で十分。

使い方は機略デッキと似た攻め方をするので1枚は高武力槍を入れるのがいいですね。

あと枚数も多いです。

暴虐の恩恵を余計に受けてしまいます。

サンプルデッキとしてはこんな感じです。



SR董卓

UC張飛

R馬岱

R関銀屏

UC張姫

GSR諸葛亮 GSR黄月英



車輪を少し駆使した暴虐デッキです。

騎馬が多いと思ったら馬岱か張姫を弓兵に変えるのもいいです。

また城にダメージを受けるので火事場系を入れてみるのもアリです。








どう逆立ちしても勝算がないなぁ

1と3は最悪もし使えるとしたらトップランカーのもんぎゃは団氏位かな?

変則的なデッキを好む私でもむりだなぁ。

2、董卓か法正の一つに絞る。

余談。

このデッキで使える作戦。

1、董卓と程遠志を城に待機させ他の部隊は固めて城壁の前に待機させる。

2、敵が攻めて来たら伏兵を董卓と程遠志を出撃させ伏兵は敵に突っ込む。

3、それと同時に董卓の計略を使い槍で乱戦させ董卓と法正で殲滅する。



そして敵城に急いで攻め込み攻城する。

因みに軍師は増援系で。



相手が威力偵察でもかなり押し出しにできますが、

作戦自体博打です。またSR甘寧等で守りきられたり、速度のあがる号令や白馬陣で逃げられる可能性もあります。

全部隊に掛ける作戦ですので大変危険です。







品でこんなこと言うのはおこがましいですが、はっきり言って無茶です。

これでどうしろと言うのでしょうか。

私は大戦始めてすぐに『三国志大戦wiki』を穴が空くほど見ました。

未だに度々チェックしています。

ニコニコ動画で研究もしています。

カードショップでいろいろな武将を買いました。

それで作ったデッキでもハンドスキルや判断が甘く、対人では容易には勝てません。

まずはwikiを見て基礎知識を身につけてください。



一応回答しますが

1無理です。SRトウ卓は初心者には扱いきれない、というか6枚デッキの時点で初心者には無理。

2ゼロから考え直してください。wikiで研究の上、自分に合ったカードを最寄りのホビーショップで買って下さい。

3最悪です。



一応デッキの作り方も言っておきます。(でも必ずwikiを見ること)

①核になるカードを選ぶ(あなたのやつだとトウ卓にあたる。号令をかける人)

②アタッカーを選ぶ(武力8以上の騎馬か槍の武将がよい。それ以下は上級者)

③サブ計略持ちを選ぶ(相手を妨害する武将や、超強くなる武将など様々)

④兵種をチェック(単色は上級者、初心者は騎馬1~2枚、槍2~3枚、弓0~1枚がいいと思う)

⑤バランスをチェック(初心者はコストバランスが22211、221.51.511がオススメ)



こんなもんです。

ただ私の説明ではあまりに拙いので必ずwikiを見てください。

あと、1000円あれば動画にUPしている強者のデッキをたいていコピーできます

三国志大戦は対人においてちょっとやそっとで勝てる甘いゲームじゃありません。それだけは忘れないでください。









貴方のレベルなら100戦して90敗するレベル。

このゲームのトップランカーでも100戦30勝程度になるでしょう。





董卓以外の全て、あるいは法正以外の全て





どう考えたらバランスがいいと思うんだ?

真剣にそう思ったんならゲーセンで太尉以上の試合を100回見てこれと同じレベルのデッキが出てくるか調べてくることだな



ここは先の回答者のようにまだまともに回答してくれる人も居るが、2chのデッキ診断スレや初心者スレで質問したら大叩きされるレベル。







中学生の方ですから、どうも他の方の丁寧な回答は少々理解できなかったのでしょうね。



ですから、分かりやすく端的に申し上げます。



1:使いやすいか

カケラも使えません。



2:かえるところ

全て。



3:バランスはいいか

最悪。



私の普段の回答ならもう少し回答の根拠を説明するのですが、Wikiをご覧になられていない、他の回答者の回答を全く参考にされていないということで、無意味と判断させていただきました。



ここで質問する前に、とにかく「三国志大戦Wiki」を見てください。分かりやすく説明すれば、あなたは九九を覚えずに方程式を解こうとしているようなものです。まず基本を理解してください。

三国志で最強の武将といえば呂布ですが、二番目に強い武将といえば誰ですか? 張飛...

三国志で最強の武将といえば呂布ですが、二番目に強い武将といえば誰ですか?

張飛?関羽?趙雲?その他の猛将?







劉備、関羽、張飛三人がかりで呂布と引き分けだった気が…。

二番目は関羽では?








黄忠の矢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・関羽もどぎもを抜かれた







腕っ節では関羽は張飛にかないません。呂布は赤斗馬がいなかったらあれほど活躍はできなかったと思います







失礼ながら、武将として三国志で最強と評価されていたのは関羽です。





あなたが呂布を1番だと思っているでしたら、

2番目は関羽ですよ(笑)



タイマン張って引き分けてますからね。

でも、魏にも呉にも恐れられていたのは関羽です!



なんたって、関羽は神様になっちゃってるしw







馬超をお忘れですよ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

織田信長は、本多忠勝の事を「日本の張飛」と讃えた事があるそうなのですが、当時...

織田信長は、本多忠勝の事を「日本の張飛」と讃えた事があるそうなのですが、当時戦国時代に三国志の書物はあったのでしょうか?







正史「三国志」は、日本では伝来時期が特定できないほど古くから知られていたようです。

古くは、『藤氏家伝』(760年)の中に、蘇我入鹿(!)を董卓になぞらえて批判する記述が見られます。

史書などの漢籍は、一部の支配階級の読み物だったでしょうが、蘇我入鹿を董卓にたとえるということは、既に「董卓は奸臣」という、明代に書かれた小説「三国演義」につながるような、キャラクターイメージが広く定着していたことが想像されます。これは「三国志」が、少なくとも支配階級の間では人気が高く、広く読まれていたことをあらわすのではないかと思います。



まして戦国時代には、乱世における「軍略」「軍政」の教科書のような三国志を、天下を取ろうとした織田信長が読まなかったはずありません。








「演義」が読まれたかどうかはともかく、史実としての三国時代は武将はみな学んだことでしょう。春秋戦国時代か三国時代くらいしか学ぶべきものはなかったと思います。現代に於いても、若し武将として戦争のことを学ぼうとするなら最も良い対象は変わらないと思います。戦争をするという際に、全く勉強もせず自己流のやり方と勘だけで臨もうとする人はいなかったと思います。すぐに死んでしまうからね。

三国志大戦デッキ診断お願いします。 ショク中心で作ろうと思ってます、、 張飛 ...

三国志大戦デッキ診断お願いします。

ショク中心で作ろうと思ってます、、



張飛 強化戦法

張飛 挑発

黄忠 零距離戦法

ギエン 寡兵の砲コウ

徐庶
落雷

法正 車輪の指揮

諸葛亮 臥龍の将略



軍師カード

馬ショク 転進再起 回復奮陣

この中の武将カードで一番bestなデッキを作っていただけますか?ここにないカードもあげてもいいですが、できればこのカードで作りたいです。







八卦の戦計の諸葛亮がいれば諸葛亮、挑発張飛、咆哮魏延、落雷除庶っていうデッキが作れますね自分は太尉ですがたまに見かける形のデッキですよ。








まず一言

このカード達だけだとまともなデッキを組むのは無理です。諦めてください。

決定的に資産が足りません。

この中でメインとなるようなカードは臥竜がありますが、周りを固めるカードがないのでまともなデッキは組めません。



それでもこの中でとなるならば

張飛 強化戦法

黄忠 零距離戦法

徐庶 落雷

諸葛亮 臥竜しか無理だと思います

久し振りに三国志大戦で質問です。 三国志大戦3の前の三国志大戦2のLEカードを買...

久し振りに三国志大戦で質問です。

三国志大戦3の前の三国志大戦2のLEカードを買ったのですが武将の能力が分かりません・

とりあえず今持っているLEカードを下の通りです。

横山光輝三国志・許褚、曹仁、張郃、典韋、関羽、関平、魏延、黄忠、周倉、諸葛亮、徐庶、趙雲、張松、張飛、馬岱、芙蓉姫、龐統、猛獲、劉備、孫策、太史慈、呂蒙、魯粛、貂蝉、呂布、顔良、文醜です。

これで分からないのが許褚、張郃、典韋、関羽、関平、魏延、黄忠、徐庶、趙雲、張飛、馬岱、芙蓉姫、猛獲、孫策、太史慈、呂蒙、魯粛、貂蝉、呂布、顔良、文醜です。

天地を喰らう・関羽、趙雲、張飛、劉備です。

これで分からないのが関羽、趙雲、張飛です。

もし全部わかっていたら全部お願いします。全部じゃないけどこれだけというものもお願いします。

ちなみに今は1級であと少しで10品ですので10品なったら昇格や降格があるのでここから勝負だと思います。

あと荀彧のレベルが今9か10位でデッキをだいぶ慣れてきました。あとLE陳宮を手に入れました。

もう一つ関係ないのですが今モーハン2ndGをやってます。もしよければ三国志大戦の他にもモーハンとかの質問にも見てください。







互換があり、かつ能力変更の無い武将は



横山

許チョ、張コウ、典韋、関羽、関平、魏延、徐庶、張飛、芙蓉姫、張松、呂蒙、魯粛、貂蝉



天地

関羽、劉備





能力変更は以下の通り、計略詳細は自分で調べてください

黄忠 2コス 7/5 柵・勇 零距離戦法(R黄忠)

趙雲 2.5コス 8/7 勇・魅・活 人馬一体(SR趙雲)

馬岱 1.5コス 5/6 伏 神速戦法(UC馬岱)

孟獲 2コス 5/2 活活活 強奪戦法 群雄に所属変更(SR猛獲)

孫策 3コス 10/5 魅・勇 雄飛の時(R孫策)

太史慈 2コス 8/5 勇 約束の援兵(R太史慈)

呂布 使用不可

顔良 2コス 8/3 勇 戦乱の誉れ 漢に所属変更(UC顔良)

文醜 2コス 8/3 勇 戦乱の一番槍 漢に所属変更(UC文醜)



天地

張飛 2コス 9/1 勇 強化戦法(UC張飛)

三国志大戦のデッキ診断をしてください。軍師・張角 武将・2,5呂布 2張飛 1,...

三国志大戦のデッキ診断をしてください。軍師・張角 武将・2,5呂布 2張飛 1,5祖茂 1趙累 1張梁です。







やりたいことは大体想像できますが、最大士気の低さと知力の低さが気になります。

特に知力の低さは致命的で、敵の伏兵を踏んだり落雷・水計・火計といったダメージ計略を使われたら趙累以外はほぼ100%撤退します。



変更例としてはC(コモン、枠が白)祖茂を蜀か群雄のカードに変えて、UC(アンコモン、枠が黒)張飛をR(レア、枠が銀)魏延あたりに変更し、C趙累をC裴元紹かC程遠志に変えると知力を補強でき同時にR呂布の計略を活かすことが出来ます。

三国志の中で出てくる人物で最強は呂布ですか?

三国志の中で出てくる人物で最強は呂布ですか?







単純に武道だけで言えば呂布でまちがないと思います。



関羽や張飛を同時に相手にして互角の戦いをしたわけですから文句なしでしょう








武力では最強だと思いますが、頭はぜんぜんです。そして最後は曹操・劉備連合軍の策に簡単にひっかかり哀れな最後を迎えました。又、下ヒ城の戦いでは愛妻家すぎて部下の進言を聞かず妻の言う事だけを聞いていたという一国一城の主にあってはならぬ性格も持っておりこの事から見ると蜀の五虎大将のメンバーがバランスがいいと思います。







そうでしょうね。

でも関羽、張飛、趙雲、馬超なども捨て切れませんね。







三国志演義での描かれ方を事実と仮定すると呂布ですね。







演義のなかでなら北斗と南斗(生死を司る神、管ろの話で出てくる)次いで仙人(左慈等)武将なら、呂布でしょう。

三国志について質問です。 三国志もやはり日本の戦国時代の圧倒的な人気の真田幸村...

三国志について質問です。

三国志もやはり日本の戦国時代の圧倒的な人気の真田幸村のように 三国志でも趙雲がかなりの人気ですか?三国志武将の人気TOP10を教えてください。適当にでも構いませ

ん。お願いします。







趙雲は蜀ファンには人気が高い方でしょう。では独断と偏見のTOP10をご覧ください(君主・文官は対象外としました)。

1位 関羽

2位 張飛

3位 許褚

4位 周瑜

5位 趙雲

6位 孫策

7位 馬超

8位 張遼

9位 張郃

10位 徐晃








関羽の方が人気じゃないかなあ?度々神様として祀られてて、財神にまでさせられた人だから。

横浜の中華街にある関帝廟は関羽が祀られてます。









真田や趙雲に人気があるのは、ゲームでの影響で‥



本当に三國志の歴史が好きな方で趙雲が一番好きって方は少ないんじゃないかと。

三國志演義では活躍している趙雲、実際正史ではその活躍の殆どは記されてないですし、字もかっこ良く見せる為後付けされた名ですから。



諸葛亮孔明にしても、彼は軍師として最高・最強とされていますが、実際には軍事面ではさほど大した戦果はありません。

同じ蜀の軍師ならば、法正や鳳統の方が明らかに秀でています。



三國志の知識はないけれど、ゲームや漫画が好きな方のベスト10と、実際の歴史に興味があって三國志が好きな方のベスト10では大きく違ってくる所もあると思います。



仮に同じベスト10になったとしても、選んだ意味が全然違ってきますし。



前者のゲーム・漫画からの三國志ファンは、基本そのゲームや漫画に登場したビジュアルやフィクションで好きな武将を選ぶでしょうから。







よくは知らないけれど三国の劉備、孫策、曹操は確実だと思います。

後、諸葛孔明やシバイ(漢字がなかったので)や周融?などの戦略家と趙雲と漕否?の人たちだと思います

(?ばかりですみません)







三國志演義の主人公である劉備配下(蜀)の武将が中国でも人気があるんじゃないでしょうか?

だとすればやっぱり関羽が一番でしょう。

次いで、諸葛亮、劉備、趙雲が同率位でしょうか。



他の勢力では、周瑜、孫策、張遼なんかも人気ありそうですね







おいおい中国本土だったら完全に関羽だろwww



神様として信仰対象になってる位です



世界中のチャイニーズタウンには「関帝廟」という関羽を祭った場所が必ずあります



横浜にも神戸にもありますよ



次いで覇王曹操じゃないでしょうか?







コーエー史観はかなり偏りがありますから、美男に描かれた趙雲や周瑜の人気は自然高くなります。因みに中国本土で人気の三国志の武将というと、第一に張飛です。あちらではこういうヤンチャでも快活な人柄が好まれるようです。

三国志の魏、呉、蜀ではどれが一番好きですか? 私は魏です。

三国志の魏、呉、蜀ではどれが一番好きですか?



私は魏です。







蜀ですね。



関羽や諸葛亮のような国民的英雄に加え

張飛、趙雲、馬超らも、とても個性的で彼らの像も

中国のあちこちに作られていたりと、とても馴染み深いものを感じます。



巨大政権に徹底的に対抗する反骨精神もとてもカッコイイですね。








魏ですね~。。。

曹操には、とても繊細で凶暴なセンスを感じます。







有能な人物が多い魏に1票。

流石は人材マニアの曹操です。

魅力ある武将や軍師が多い。



曹操も好き。







私も魏が好きです。



曹仁、夏候惇、張遼、龐徳、張郃、そして司馬慰。

みんなそれぞれ個性があり、実力も伴っていると思っています。



また、やはり曹操の存在がもっとも魅力を感じます。

あの人物を使う力量。仕事を人に任せるとその人物は結果をだす、また、結果を出せなかった人物には

その仕事を任せた自分の眼力の器量不足として自分にも罰を科すところなど、一つ一つあげていくとキリがありません。



歴史はやはり人物が作り出していくもの。その登場人物によって、それを読み知っていくとき、自分の感情移入や印象の

善し悪しが決まると思います。



以上のことから、私は”魏”が大好きです。







呉が好きです!赤壁の戦い後の呉の成長も好きですが、孫堅亡き後の孫策の南方統一がとても魅力的で大好きです。







ベタですが蜀です。

劉備、関羽、張飛のチームワークが好きですね。

でもやはり諸葛孔明は別格です。

劉備三兄弟亡き後蜀を引っ張っていく孔明の姿はカッコイイです。







同じく魏です、曹操(字孟徳)が好きなので自然に。

三国志で「馬氏」が文官・武官問わず結構活躍しますが 荀氏のようにすべて一貫した...

三国志で「馬氏」が文官・武官問わず結構活躍しますが

荀氏のようにすべて一貫した一族なのでしょうか?







中国には「張三李四」と言う言葉があり、「猫も杓子も」と言う意味です。

要するに中国は姓のバリエーションが少なく、張・李・馬などの姓はよくかぶるのです。

それで、中国では出身地、「燕人張飛」とか「常山の趙子龍」とか名乗るわけですね。



蜀の馬忠と呉の馬忠が同族だったら、それはそれで面白いと思いますけど・・・。








馬騰・馬超親子の系列と、馬良・馬謖兄弟の系列を指しているのですかね?



おそらく、関係ないと思われます。



後漢の建国の功臣に馬援という将軍がおり、馬騰・馬超はその子孫です。



一方、馬良・馬謖ら五兄弟に関しては、その旨の記載が特にありません。



馬援は三国志の時代の150年ほど前の人物に過ぎず、娘が二代明帝の皇后となっているように、有力豪族となりました。

そのような人物との関連が触れられていないということは、おそらく別の一族でしょう。



ただ、馬援は戦国期の趙の名将の子孫と名乗っており、実際前漢でもそれなりに有力な一族でしたので、前漢時代に分かれた同族という可能性はありうると思います。

三国志の正史と演義ではどれくらいの違いがあるのですか?例えば有名なエピソード...

三国志の正史と演義ではどれくらいの違いがあるのですか?例えば有名なエピソードでも・・・

「桃園の誓い」「三顧の礼」「長坂橋の張飛」「矢を命中させて和を成立させた呂布」

他にも色々、眉唾な話が多いですね、特に蜀を際立たせる話など。

御存知の方教えて下さい。







「矢を命中させて和を成立させた呂布」は確か正史にも書かれていた内容です。

正史三国志はそう言うありえそうに無いエピソードは極力排除しているのですが、

呂布の矢の話は数少ない超人伝説の一つですね。



三顧の礼は実際に史書にもあった話です。天下三分の計は陳寿の創作のよう

にも思えるのですが、これも史書に載っている話です。



ただし、諸葛亮登場以降は特に脚色が多くなりますね。



・夏侯惇や曹仁を諸葛亮が破ったエピソードは演義の創作

・劉表の息子の劉ソウが曹操に降伏して青州刺史となり、赴任途中に曹操

に暗殺されたのは演義の創作(殺害されていない)

・長坂で張飛が大喝して魏全軍が退却は誇張表現(橋はあらかじめ落として

おき、対岸から怒鳴った)

・赤壁へ攻める途上曹操が詩を詠った際、劉フクがその詩は不吉と言ったこと

に対し、曹操が怒り斬り殺したのは演義の創作(劉フクは同年病死)

・赤壁前、諸葛亮が呉の重臣達を議論でねじ伏せたのは演義の創作

・赤壁での連環の計は演義の創作(連環自体は魏側が自らやっていた?)

・諸葛亮が東南の風を吹かせたのは演義の創作

・赤壁で敗北した曹操が退却する際に関羽や張飛、趙雲が伏兵となって

攻撃したと言うのは演義の創作(実際は逃げられた)

・諸葛亮を周ユが警戒し、殺害しようとしたのは演義の創作

・周ユを出し抜いてケイ州諸城を諸葛亮達が占拠したのは演義の創作

・魏延を謀反の相がある、と殺害しようとしたのは演義の創作

・ホウ統が県令の仕事を一日で終わらせたのは演義の創作(実際は罷免

されただけ)

・馬騰が殺害されたのは曹操に騙されたため、と言うのは演義の創作

(馬超が反乱を起こしたため、処刑された)

・張飛が張コウを酒で騙して勝利したのは演義の創作

・漢中攻防で諸葛亮が漢中にて色々進言したのは演義の創作(実際は後方

にて補給任務に当たっていた)

・漢中攻防での趙雲の大活躍(雲別伝以外に話が見当たらず、戦後の昇進

も無いので眉唾)

・七縱七禽により南方が平定され、南方の民が心服したと言うのは事実に非ず

(実際はその後何度も反乱が起きており、南方経営はうまくいってない)

・第一次北伐で司馬懿が諸葛亮と戦うのは演義の創作(実際は曹真と張コウ

によって撃退される)

・第一次北伐で諸葛亮の空城の計は演義の創作(退却しただけ)

・第二次北伐でカク昭が死んだ後に陳倉を奪い取ったのは演義の創作(実際

は取れていない)

・司馬懿が諸葛亮達の策略で失脚したのは演義の創作(失脚してない)

・第一次以降の北伐で戦場で曹真を翻弄したのは演義の創作(一次以降は

完全に抑えられている)

・姜維が諸葛亮を戦術で一度破ったと言うのは演義の創作(降伏しただけ)

・諸葛亮が張飛と打ち合った張コウの武略を畏れたのは演義の創作(実際は

武略、知略共に畏れていた)

・陳倉攻撃時に蜀軍の兵糧が少ないことを司馬懿が見通していたと言うのは

演義の創作(実際に見抜いていたのは張コウ)

・王朗を論戦にて殺害したのは演義の創作(そんなので死なない)

・曹真を愚弄する手紙を送り殺害したのは演義の創作(ただの病死)

・第四次北伐で蜀軍撤退時に張コウが追撃を主張したのは演義の創作

(魏略によれば張コウは追撃を反対している)



他にも色々ありますが、まぁ、諸葛亮のやってることの大半は演義による

創作、と思っていただいてもよろしいかと思います。演義の手法ですが



曹真や張コウと言った他の人物の功績

⇒司馬懿の功績にしてしまう

⇒その司馬懿を打ち破る諸葛亮



と言う構図にして諸葛亮の偉大さを示す、と言うことが行なわれていますね。

お話としては単純で分かり易いのですが、史実からはかなり乖離することに

なります。








「桃園の誓い」で、劉備と関羽と張飛で義兄弟の順番を決めるのに、演義では勝手に決まりました。

しかし、正史での義兄弟の順番は、大きな木に触れた箇所で決めるとし、張飛がそれならと木の、てっぺんに登り、関羽は木の真ん中を触り、劉備は下の根っこ辺りを触っていました。張飛が「木のてっぺんにいる俺が一番兄だ」と言ったら、劉備が「木は、下から上に伸びるもの。」よって木の下から順番に1番兄劉備、2番兄関羽、3番張飛となりました。







まず三国志(正史と呼びます)と三国志演義(演義と呼びます)の違いは、正史270年頃陳寿という人物が客観的に出来事をまとめたもの。演義はそれから1100年後に羅漢中という人物が正史を元に民間伝承などを付け加えて構成したいわば物語です。なので演義では曹操は徹底的に悪玉として扱われています。

演義では長反橋で趙雲は劉備の息子(阿斗)のみを救出してますが正史では夫人と息子両方救出しています。

劉備は演義では優等生で親思いの人物として描かれていますが。静止ではチンピラみたいです。

演義で華雄を斬ったのは関羽が斬ったことになっていますが(まだ酒が温かかったエピソード)正史では孫堅軍に捕らえられ斬首されたとあります。

諸葛亮が南征を行なっていますが正史では行なっていません。彼の部下の張ギョク(字が出なかった)という部下がモデルになっています。

関索は演義では関羽の三男として登場しますが正史には登場しません。







他の人がいろいろ書いていますので、とりあえず、映画「レッドクリフ」(赤壁の戦い)に関連した共通点と相違点です。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1326201518

でもやっぱり、自分で本を読んで探した方が楽しめると思います。楽しみながら、大いに勉強になります。

参考書: 今鷹真・井波律子・小南一郎訳『正史三国志』(ちくま学芸文庫)







演義は小説として面白く魅せる事を前提としていますからね。

正史を骨子とはしていますが、事実性の追求はほぼ皆無ですよ。

英雄たる英雄の格を際立たせるために創作されたのかもしれませんね。



中国における英雄観は史実、宗教、民間伝承など非常に大乗的な観点から

見られることも多いため、演義の役割は民間伝承目線からの

諸葛亮や関羽、張飛、趙雲ら、民間人気の高いヒーロー達の株を上げるための

ものであると推察します。



正史との差異を述べたらば、細かいところまで比べれば

かなり部分がアレンジされているかもしれません。

ただ、三国志正史もまた当時の王朝が

自分らの都合の良いように編纂したものであるので

本当の「真実」に対して眉唾物の記事はそこかしこにあるものだとも思います。







演義では馬超が反乱を起こしたのは、曹操に殺された父:馬騰の敵を討つため、みたいに書かれてますが、実際の馬超は父:馬騰が都にいるにも関わらず何を思ったか反乱を起こし、そのために馬騰は罪に問われて処刑されてしまった、とか。

あとは、諸葛亮を神様か魔物かと思わせるためのエピソードが多く有るようですね。

・赤壁の戦いの前哨戦で曹操の軍から10万本の矢をせしめ取るエピソードは、正史にはありません。

・諸葛亮の北伐については、魏の曹真を散々に打ち破り、その後に司馬仲達と対戦するみたいな形になってますが、正史では曹真は諸葛亮をキッチリ撃退しています。

・北伐から撤退する際の空城の計について、そんな危ない事はしてません。

諸葛亮って凄い人だ!と思うエピソードの半分は疑って良いのではないでしょうか。







前に、同様の質問がありましたので、その時の回答を再度書かせて頂きます



・「演義」での関羽の武器として描かれている“青龍偃月刀”は、三国時代には存在しない。

・「演義」の魯粛は「お人よしな性格」として書かれているが、実際は「有能な政治家」。

・「演義」では「真面目な性格」に描かれる劉備だが、「正史」では“暴れん坊”と書かれている。

・「演義」での「関羽の千里行」のコースには、実際に走破した場合には無理がある。

・関羽の部下の周倉は、「演義」オリジナルの武将。

・対董卓連合軍の諸侯の取り合わせ…。



まだまだ「違い」はありますが、一度「正史」と「演義」を読み比べた上で

ご自分でお探しになるのも楽しいですよ。

三国志を漫画のキャラに例えてみる

三国志を漫画のキャラに例えてみる

みなさんは三国志の人物を漫画(アニメ)のキャラに例えてみるとしたら誰ですか?

僕はこんな感じで例えてみました



姜維=碇シンジ

張飛=ジャイアン

呂布=ラオウ

魏延=ジャギ

孔明=ハマーン・カーン

劉禅=ミネバ・ザビ

大喬と小喬=プルとプルツー







私も昔に同じような質問をさせて頂きました。

今は特に思い当たりませんのでとりあえずこちらで・・・。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317144693

三国志ⅧのPSPで義兄弟を結ぶのって何人できますか?

三国志ⅧのPSPで義兄弟を結ぶのって何人できますか?







確か三人までですよ。例えば劉備と義兄弟になると、関羽と張飛も自動的について来て三人になります。

既に別の誰かと義兄弟になると、この三人とは義兄弟になれません。つまり誰かと義兄弟になった時にその誰かに別の義兄弟がいたら、強制的にその人と共義兄弟になってしまいます。








三人までです。義兄弟の契りは、一回すると死ぬまで続くので、めんどいですよww

三國志 魏延ですが諸葛亮が使いこなせなかっただけで能力は三國志の中で高くて関羽...

三國志

魏延ですが諸葛亮が使いこなせなかっただけで能力は三國志の中で高くて関羽、張飛、趙雲、馬超たちにひけは取らないと思いますが皆さんどう思いますか?








最終的に殺されたのは権力闘争の結果に過ぎず、むしろ忠義の人物です。主君を殺したのも創作ですし。

個人的には劉備が抜擢したのと、その戦歴からみれば、関羽と同等であり、他の将とは比較にならないでしょう。








実際そのとおりだと思います。



漢中奪取後、魏延は劉備によってその守備を任されています。

言うまでもなく漢中は魏との最前線の一つでありここを任せられるという事は如何に劉備が魏延を信頼していたかの証左であると言えます。



例に挙げた中で言えば、荊州を任さられていた関羽はともかく張飛らはまだ益州に居ました。その張飛らを差し置いての任命ですから、新参でありながらその実力は劉備の認める所であったのでしょう。



諸葛亮との派閥争いも絡めた対立や楊儀によって謀殺された事により、後世の評価が不当に下げられたきらいがあります。

実力では劉備陣営のトップの一人と言えるでしょう。







魏延は『三国志演義』の数々の悪い設定のせいで非常に不当な扱いを受けていますね。不憫なことです。

正史『三國志』から分かる魏延の姿は、忠義に篤く武勲輝かしい良将であり、決して裏切りの人物ではありません。

個人的には関羽と同等とは思いませんが、張飛や馬超には肩を並べて然るべきだと思います。



ところで、私は諸葛亮が魏延を使いこなせなかったとは思っていません。むしろ武勲輝かしくプライドの高い魏延を見事に使いこなしていたと思っています。諸葛亮存命中は一切問題を起こしていませんし、諸葛亮と魏延が不仲だったとも思っていません。

諸葛亮が却下したのは魏延が献策した「1万の兵で長安を直接急襲する」という大胆な作戦ですが、1万と言えば蜀漢の総動員兵力の約1割に及ぶ大軍です。そんな兵力を常備兵力30万を超える魏軍の最重要軍事拠点に直接ぶつけるなど、リスクが高すぎて諸葛亮でなくても採用できない危険な賭けでした。

それに諸葛亮の基本戦略は「涼州を徐々に削り取り、魏を疲弊させ蜀漢の国力を増す」のが狙いでした。もっと端的に言うなら長安から敦煌を経て西域に至る「河西回廊(シルクロード)」を押さえたかったのです。魏延の策とは相性最悪でした。

魏延は常々「丞相は臆病だ」と不満を漏らしていたそうですが、勇敢とか臆病の問題ではなく諸葛亮の戦略構想から外れていただけです。



ところで、魏延は最期は反逆者として滅ぼされますが、諸葛亮が自分の死後に撤退する軍の責任者に指名していたのが常々魏延と犬猿の仲だった楊儀で、魏延は楊儀に従いたくなかっただけです。決して諸葛亮に反抗した訳ではないのです。そもそも楊儀は旧劉璋配下であり、諸葛亮とともに荊州時代から劉備に従っていた魏延にとっては、自分の上に立たれる事が我慢ならなかったのでしょう。







名前に“魏”という文字がはいっているから

作者が嫌って悪く書いているのさ!







能力的には、黄忠の代わりに魏延を五虎大将軍に加えても良いと思っています。正史には、一隊長として劉備に従い度々戦功があったので牙門将軍とした、とあって漢中太守にまで出世しています。荊州と同様に漢中も戦略上重要な地です。こう考えると少なくても劉備は、魏延が関羽にもひけはとらないと考えた筈です。







旧主に直接手を下して劉備傘下に入ったのですから、来歴がよろしくありません。消極的に逃げてきたなら解りますが、手を下したとなると信用できる人物ではなくなります。







諸葛亮が使いこなせなかったというのもありますが

反骨精神が強すぎだったりします。

忠義という点では、関羽、張飛、趙雲、馬超には劣ると見えます。

三国志について質問です。

三国志について質問です。

劉備が漢中王になって、部下に様々な役職を与えました。



その中で有名なのが「五虎大将軍」で、関羽を筆頭に、張飛、黄忠、馬超、趙雲で構成されたわけなんですが、



そのときになぜ関羽は、黄忠や馬超はともかく、どうして張飛、趙雲と同じ同列に扱われたことに不満を持ったのでしょうか?



詳しく教えていただけるとうれしいです。よろしくお願いします。





単純な質問ですみません。







関羽は、プライドが高く、結構、厳しい人だったようです。

張飛は義弟、趙雲は劉備に仕えて、結構長く、功績も優秀、武力も強い。

関羽も認めていました。



黄忠、馬超は劉備に仕えて、まだ浅く、現代で言えば、中途採用の新人です。

それと、同じ扱いが、不満だったようです。








「関羽」



というと、知勇双全の名将というイメージがあるかもしれませんが、

正史などの記述では

「部下には優しいが、士大夫には傲慢」

と、あります。



他の回答者さまも言及なさっていますが、

とてもプライドが高い人物で

たびたび、士大夫との衝突があったようです。



「張飛」

は、逆に

「士大夫には敬意を表するが、部下にとても厳しい」

と書かれています。



最終的に部下に文字通り

「寝首をかかれて」

いますね。







歴史書の正史(史実)に関する本も読んでみましょう。それには関羽さんはプライドが高く、五虎将とゆう同じ位が納得いかいと不満に怒ったり、目上の名士層や文臣に対して横柄で驕慢であったとあり。文人官僚だけでなく他の武将達からも関羽は、同じ劉備陣営の武将たちに好意を持たれていなかったとゆうヤッカミの強い人物だったことも例が多く挙げられています。馬超が加わった時には自分とどっちが上だと問い、関羽が上だと返事したら、大いに満足してその手紙を人に見せまわったとゆう記述もあります。劉備の武将の中で自分が1位でないと承知しなかったようです(本伝)。



ちなみに小説のお話は歴史を元に劉備を主人公として作られたものなので物語では作られた架空のお話が多々あり歴史の事実を書いたものではありません。さらにマンガ等は小説を元に描かれて作者のオリジナルがさらに入って描かれているものです。







あくまで参考にして下さい



横山光輝氏の漫画「三国志」では

関羽は義弟の張飛と昔からの戦友である趙雲は五虎大将軍であることを認め、

馬超と黄忠は昔から漢中王と戦ってないとして五虎大将軍であることを認めませんでした。

関羽は五虎大将軍のお祝いを伝えにきた使者に馬超と黄忠を否定しましたが最終的には

その使者に「関羽将軍は冠位の為に漢中王にお仕えしているのか」と指摘されて

自分の間違いに気づきました。

三国志で戦いが面白い小説ありませんか?

三国志で戦いが面白い小説ありませんか?

真・三国無双4というゲームのOPで、趙雲がワイヤーアクション的に飛んだり暴れたりしてます。



そういう金庸の武侠小説みたいな、バトル描写が楽しめそうなものってありませんか?

話が面白いやつで。



吉川三国志は1巻だけ見てます。







「武侠小説みたいな」とまではいきませんが、戦闘シーンが

迫力あるものとしては、北方謙三氏の「三国志」をお薦め

します。



北方氏の作品は、「三国志演義」やそれを元にした吉川氏の

「三国志」等にくらべ、独自のアレンジが施されています。

キャラクターの性格や設定もかなり変えられています。

(特に、馬超や張飛など。)

また、オリジナルの登場人物をだしたり、「演義」では出番の

少なかったキャラをクローズアップするなどもして、特色の

ある作品となっています。



戦闘場面(特に騎馬隊)の描写にも迫力があり、楽しんで

読めるかと思います。

三国志で、劉備は玄徳、諸葛亮は孔明、曹操は孟徳という字(あざな)というものが...

三国志で、劉備は玄徳、諸葛亮は孔明、曹操は孟徳という字(あざな)というものがあるんですが、何才になったらその字がつけられるんでしょうか?







先に回答者さんの追記ということで、

礼記(らいき)は、周から漢にかけて、

儒学者がまとめた礼に関する書物を、

戴聖が編纂したものですが、

この中に、

【字(あざな)】は、

成人になったらつけられるという規定があります。

春秋戦国時代の人物にも字(あざな)は見受けられますので、

周前期(紀元前1000年頃)には、その風習があったものと思われます。



現在では「字」を付ける習慣は無いそうです。



『禮記.曲禮上』



「男子二十冠而字」「女子十五笄而字」

つまり男子は二十で加冠して字をもらい、

女子は十五で加笄して字をもらうということです。



加冠は、日本で言う烏帽子、

加笄とは日本で言う髪結いの儀式です。

成人式ですね。

これより男は髻を結って冠をつけ、

女は髪を結って簪を挿すことになります。



字は通常、家長ないし族長、

または地元の名士が烏帽子親みたいに付けたといいますが、

劉備や諸葛亮などは、付けてくれる適当な人物がいなかったからか、

自分で付けたという話を聞いたことがあります。



古代の字のつけ方には、数種類のパターンがあります。

一応の決まりがあるといわれます。



①同義反復:名と字の漢字が同じ意味をもつパターン。



例えば孔子の弟子の宰予は、字を子我。「予」と「我」は同義です。

諸葛亮は諸葛「亮」字「孔明」。

「亮」も「明」もともに「明るい」という同義です。



②反義相対:名と字が正反対の意味(対になる)パターン



例えば、晋大夫の趙衰(減少の意味)は字子余(増多の意味)、

唐の王績は字無功。

三国では、呂蒙が字子明。蒙は暗いという意味です。



③連義推想:名と字の一字がいわゆる連想語となっているパターン



例えば、趙雲は字子龍。「雲」と「龍」です。

水滸伝の公孫勝の二つ名は「入雲竜」。

龍は空を飛び、空には雲があります。

関羽は字雲長。「羽」と「雲」ですね。



張飛は正史では益徳ですが、

演義で翼徳になってる理由も伺えます。

「飛」と「翼」の方がしっくりします。



④書物の一節から:老子などの有名な書物から抜き出すパターン。



有名どころで言えば、劉備がいます。

劉備の字は「玄徳」。

これは一説によると、『老子』からとったのではないか、ということです。



『老子』

生じて而も有せず、為して而も恃まず、

長じて而も宰さず、是を玄徳と謂う。



また、『朱子語類』を読んでいくと、

「玄」は「真」であるという一文があります。

ちょっと飛躍して考えてみると、

「玄徳」=「真徳」。(天子になるべき)真の徳を持ってるのは自分だぞ、と、

暗に示してたのなら、

劉備の聖人君子的な面以外の裏の顔が覗けますね。



例で言えば曹操もまたこのパターンになるようです。



『荀子.勧学篇』

生くるも是に由り、死するも是に由る。夫れ是を之、徳操と謂う。



曹操の場合は名の「操」に合わせて

孟「徳」とつけたこの説が有力ですね。



あと諸葛亮も、このパターンにも含まれます。



『説文解字』

亮,明也。段注:“古人名亮者字明。”



「亮、明なり(段注:古人の名亮は字明)」ここからとって、

ついでに頭に「孔(おおいに)」をつけて、

「諸葛亮、孔明」となったわけです。

また、古に名が「亮」で字が「明」であった人物がいるとも記されています。

諸葛亮のことなのでしょうか。



同じく『説文解字』に、

瑾瑜,美玉也。というのもあります。

「瑾瑜は美玉である」。

この二文字を使っているのが、周瑜、字公瑾です。

この逆のパターンが、

呉の文官諸葛亮の兄の諸葛瑾、字子瑜です。



⑤排行

排行とは、同氏族内で同世代には共通する一字をつける、

などの法則のことです。



1)兄弟の順序をあらわす漢字を頭に、兄弟で同じ漢字をつける。

有名な「伯仲叔季」です。「孟仲叔季」の場合もあります。

日本で言う所の太郎次郎三郎です。

司馬懿の兄弟・「司馬八達」は、

上から順に

伯達(朗)、仲達(懿)、叔達(孚)、季達(馗)、

顕達(恂)、恵達(進)、雅達(通)、幼達(敏)



2)兄弟の順序をあらわす漢字を頭に、兄弟で違う漢字をつける。

「伯仲叔季」の法則を用いながらも、

下の漢字は名優先にして、兄弟で違うタイプです。

有名なのは呉の孫堅の息子です。



伯符(策)、仲謀(権)



ここでは同義反復を用いています。



【策】竹簡をひとまとめにしたもの(冊書)。文書。天子の命令「政―」。

【符】竹などでつくり、文字を刻んで二つに割り、

証拠としてもつもの「割―」、天子の勅命「―命」

【権】ハカる。計画を立てる。

【謀】はかりごと。



策も符も竹製の書くものですし、

謀と権は権謀という単語があるくらいです。



3)兄弟で共通の字を頭に、下は違う漢字をつける。

袁紹の子どもは頭に皆「顕」がついてます。

(曹操の子どもは・・・書きすぎました削除します。)








『礼記(らいき)』によると、男子は二十歳で冠を付け字を持ったとあり、成人した人間の呼び名としては原則として字が用いられました。



>frogman03544さん

補足ありがとうございます。

>質問者様

余談ですが、項羽は名は籍で、羽は字です。それと、蒋介石は名は中正で介石が字です。

三国志で仕えるとしたら 誰に仕えますか? 理由もちゃんと書いてくれたらBAに選び...

三国志で仕えるとしたら

誰に仕えますか?



理由もちゃんと書いてくれたらBAに選びますm(__)m







関羽ですね。やっぱり義を重んじ、流浪の身の劉備を張飛と一緒に支えてきた男・・・。樊城で敗れ、捕まって、孫権に降るよう言われても、兄弟の契りを忘れず断り、処刑された関羽・・・。そのまっすぐとした生き方に俺は心を惹かれました。この人に仕えられるのであれば、全力で戦いたいですね。








曹操ですね。

有能であれば身分が低くても出世させていたようですから。

僕も出世させてもらいたいです!







魏の曹操ですね、国力は圧倒的で部下も正当に評価するし、中央に国があるので文化も進んでいて綺麗な女性も多そうだし・・・^^







張遼です ごうひ[漢字でませんでした]戦い に参加したいです







徐庶。処世術に長けてるから。







張遼か曹仁です。部下を見捨てない、そこに尽きます。







では夢がありそうな高句麗というのは…







魏の軍師、郭嘉。



理由は3つ。



・単純に郭嘉が好き。



・頭を使うのが得意だから、「武」で仕えるのではなく、武将を動かす策を練る側に回りたい。



・元々、曹操が好きだが、その曹操が信頼し、早死してしまう郭嘉をものすごく惜しみ、悲しんだ。そして曹操は赤壁の戦いで敗れた時に「郭嘉が居たら負けなかったかもしれぬ」とまで言った。曹操にそこまで言わせた人物に是非とも仕えてみたい。







三国志で嫌いな登場人物は、一人もいません。ただ、好きな人物が関羽一人だけという事です。なので仕えるなら関羽がいい。







私は蜀漢ヒイキなので劉備ですw

三国志にすごく興味があります。 ただ登場人物が多すぎてさっぱり理解できません。...

三国志にすごく興味があります。

ただ登場人物が多すぎてさっぱり理解できません。

申し訳ありませんが、簡単な内容をどなたか教えて下さい。



一応・・・・(幼稚な説明ですみません)

・劉備、関羽、張飛が仲間

・三顧の礼で孔明が劉備の仲間に

・呂布の乗ってた馬はいい馬(笑)

は理解しているような、間違っているような・・・







黄巾の乱後、董卓という者が都の実権を握り、各地の英傑が集合し、打倒の軍を起こす。

董卓は呂布の裏切りによって倒れ、都は混乱する。

その間に、曹操が黄巾征伐などで実力を蓄え、帝を自分の本拠地に招きいれる。

袁紹と官渡で戦いになり、曹操が勝利し、河北はほぼ曹操が支配する。

その間に、孫堅・孫策が江東で支配力を強めひとつの勢力となる。

劉備は、その混乱の中南へ下り同族の劉表を頼る。

いずれ劉表は死に、曹操が南征の軍を起こす。

元劉表軍は降伏し、劉備も南下して逃げる。

劉備は孫権と結託し、曹操軍と戦い赤壁にて大勝する。

劉備はその隙に元劉表領を接収し、一勢力となり、さらに西征して同族の劉璋領を占領する。

赤壁以後、どこか領土を取ったら元の劉表領を孫権に返すと約束していながら、返さなかったことに腹を立てた孫権が曹操と結託して攻めてきて、弟同然の関羽が殺され、荊州の支配力が弱まる、劉備は反撃するも破れその後病死する。








横山三国志は名作ですね。まんが60巻読めるならおすすめしますよ。

一連の流れとしては

主人公は劉備で関羽・張飛が豪傑の義兄弟。

世の中が乱れて戦乱の世なのでそれを終わらせるために奮闘するも、ライバル曹操に阻まれる。打倒曹操のために天才軍師孔明を三顧の礼で迎え入れる。

やがて曹操の魏・劉備の蜀・孫権の呉の三国時代となるが劉備そして後をついだ孔明も志なかばにして倒れる。







400字以内で適切に表現するのは不可能です。



よって、



①横山光輝のマンガを読む

②吉川栄治の三国志を読む

③koei社の出しているゲームをしながら覚える



これらを推奨いたします。

番号は優先順位です。



こちらは上級者向け

④安能務、柴田練三郎、北方謙三らの小説も読んでみる

⑤マンガ蒼天航路で演義とは違う三国志観を身につける

⑥正史を読んでみる



番外

koeiのゲーム関連本「武将File」シリーズで各武将のエピソードを知る

反三国志などのイロモノに手を出してみる







そんなもんです。

そして中国大陸に魏・呉・蜀の三つの国が出きるわけです。

最後に晋という国が統一しておしまいという話です。

その間100年近くあるのでエピソードもたくさんあるわけで、登場人物も多くなるわけです。

ただみんな名前が漢字なのでわかりやすいですよ。







上の説明は全部あっていますよ。

横山光輝さんの漫画の「三国志」を読んでみたらどうですか。

三国志大戦、5連敗して九品に落ちました。 麻痺矢使ってるんですが…。 やっぱり若...

三国志大戦、5連敗して九品に落ちました。

麻痺矢使ってるんですが…。

やっぱり若き王に変えるべきですかね?







素人に麻痺矢はきついかと…。

無難に若き王の手腕にすべきかと…。

それか、SR呂蒙が人なんで、人心で組むか…。

槍がいなくなりやすいので、騎兵単出てきたらきついですが。

やはり、大徳で行くべきでは?

槍3、馬2なら何とか使いこなせるかと。

SR劉備

R馬超

R徐庶

R馬謖(UC関平)

UC周倉

なら、お金もかかりませんし、そこそこいいかと。

馬超を張飛か張ホウに変えてもいいですが、なら、1.5コスを馬姫にしたりとか。

色々試してみてください。










麻痺矢のデッキは?



麻痺矢は正直な話、いつ攻めていいかワカラナイから難しいですよ。



三国志大戦3についてです 1、武力と知力って何に関係しているんですか? 2、デッキ...

三国志大戦3についてです

1、武力と知力って何に関係しているんですか?

2、デッキをかんがえてもらいたいです。蜀でSR劉備の大徳を取り入れたデッキ

蜀のカード

SR劉備6/7(必需)・UC関羽9/5・UC黄忠7/6・SR魏延8/4・SR趙雲8/7・UC張飛10/2・C孟達3/6・C王平5/6

C張翼7/5・UC呉蘭4/6・Cび芳&士仁2/4・C孟優6/3・C張ぎょく5/6・C穆皇ごう1/5・C呉い3/3・UC王桃4/6

軍師

びじく 再起興軍/知勇兼陣



お願いいたします







先の回答者様が言うように

「三国志大戦3 戦術指南書」を 見てないのですか?

(三国志大戦を置いてあるゲームセンターには大概ある、大戦の説明書の事です)





因みに

武は計略によって0~99まで上下します。(知力も上下します)



① 一部の武将が持つ計略「猛将の一閃」は互いの武力差によってダメージを与える。

② 現在攻城力が武力とコストに依存するので、武が高い状態で攻城することで速く勝利する事も出来る。





===デッキについて===

SR劉備

SR趙雲

UC王桃

C麋芳&士仁

C呉懿



手持ちで作るとなるとこのような感じですかね…ただダメージ計略が無い為かなり苦戦すると思われます。





カードショップで優先して買うべきカードは「R徐庶」「SR馬超」ですね








武力、知力の意味が分からない?自分で調べようとしないんですか?そんな説明書の最初に書いていそうな基本的なこと聞かないでくださいよ。



一応今後のあなたのために念押ししておきます。



本題ですが



武力…相手より上回っていれば戦闘ダメージを相手より多く与える。こちらが低ければ相手より多くのダメージを与えられる。



知力…ダメージ計略、妨害計略への耐性。知力が高ければダメージ計略のダメージは減るし、妨害計略の効果時間も短くすることができる。また、こちらがダメージ計略、妨害計略持ちならその効果が高くなる。



大徳劉備を使った基本型は槍3(コスト5)、馬2(コスト2)となります。相手の騎兵を槍で封じ、槍兵の苦手な弓兵は騎兵でカバーするといった感じで。



ところで質問に書かれたこの資産内でデッキを組んでということですか?些かバランスは崩れますが、



SR劉備

SR魏延

C孟達

C張嶷

UC王桃



うーん、やはり厳しいですねぇ…



購入も考えるというのであれば、



SR劉備

UC厳顔

R徐庶

R張苞

UC周倉orRホウ統



大安定の大徳デッキです。戦術については頂上対決なり動画サイトで確認してください。言葉で言うより見た方が早いし分かりやすいと思いますので。長文失礼しました。

三国志大戦について。 僕は今呉と蜀を使ってるのですが、なかなか勝てません。 デ...

三国志大戦について。



僕は今呉と蜀を使ってるのですが、なかなか勝てません。

デッキの診断お願いします。





軍師、陸遜

程普

張コウ

陸抗

周泰

甘寧





軍師、馬ショク

ビ夫人

関羽

張飛

馬超

です。



何をどうすればいいのか教えてください。



呉の2でSRの甘寧と孫策を持っているのですが、

使うべきですか??

また2のカードを使ってデメリットはありますか?



面倒だと思いますがよろしくお願いします。。。







2のカードを使用するデメリットについては、



1 軍師の特訓、模擬戦に参加できない。

2 属性が無い為、軍師の奥義の溜りが減る。

3 属性号令の恩恵を受けられない。



メリットについては

1 一部まだ使える部類の武将カードが存在する(互換性が無い為)

2 3の互換カードが存在する場合、3のカードより安くカードショップで手に入る





以上です。なおその2枚を使用するのであれば、3の同名カードが手に入るまでの繋ぎ程度に考えください。





呉のデッキですが

Ver2.0xSR孫策が今のバージョンでは「小覇王の快進撃」となり使い勝手が良いのでこんな感じに変えてみてはいかがでしょうか。



SR孫策

R陸抗

R周泰

UC甘寧

軍師 R陸遜 SR周ユ








失礼ですが…

三国志大戦って言うゲームは

まともにデッキも組めない人が勝てるゲームじゃないですからね。



カード云々よりあなたの構築能力がデメリットですよ。







私のデッキで宜しければ。

SR関羽SR甘寧をメインにしなさい。

後の2.5は自由に。

結構いける作戦ですよ。

三国志。を小学生に教えるように、教えてくれませんか?

三国志。を小学生に教えるように、教えてくれませんか?







1800年前の中国、今の乱れた世を建て直そうと、わらじ売りの劉(りゅう)さん(劉備りゅうび)、浪人の関(かん)さん(関羽かんうう)、肉屋の張(ちょう)さん(張飛ちょうひ)の三人が立ち上がります。



乱れた天下は、色々な英雄が現れなすが、頭の良さと部下の心をつかむことにすぐれた曹操(そうそう)という英雄が他の英雄(呂布りょふ、袁術えんじゅつ、袁紹えんしょう、など)に勝ち、中国の北半分を統一します。



一方、さっきの三人組は、なかなかぱっとしなかったのですが、「諸葛亮(しょかつりょう)(=孔明こうめい)という男を家来にすれば天下を取れるだろう」と教えられ、世間から離れて引きこもっていた諸葛亮の家に何回も訪問してお願いし、ついに家来にします。



天下統一目前の英雄・曹操を倒すため、諸葛亮のすすめで中国南部のもう一人の英雄・孫権(そんけん)と仲間になった劉さんは、軍師となった諸葛亮の作戦と、関さん、張さん、それから新たに仲間になった趙雲(ちょううん)などの武勇によって、赤壁(せきへき=レッドクリフ)の戦いで曹操を打ち破ります。



諸葛亮の作戦で劉さんは、その後荊州(けいしゅう)、益州(えきしゅう)という二つの国を取り、中国の天下は北の曹操、南の孫権、西の劉備に三分されます。それが魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)の三つの国となっていきます。この三国の戦いが「三国志」です。劉さんは蜀の皇帝になり、諸葛亮は丞相(じょうしょう=総理大臣)になります。



さあ、そのあと劉さんたちの運命は?諸葛亮が智謀の限りを尽くした魏への攻撃は成功するのでしょうか?そして立ちはだかる魏の名将・司馬懿(しばい=仲達ちゅうたつ)とは?そして、三国でついに勝ち残ったのはどこなのか???後は本で読んでね!








むか~し、むか~し中国でたくさんの人が死んだ戦争がありました。







中国って国で兵隊さんがいっぱい戦ってたんだよ。

北方謙三さんの三国志で張飛と馬超が一騎打ちをするのは第何巻ですか?

北方謙三さんの三国志で張飛と馬超が一騎打ちをするのは第何巻ですか?







本、売っちゃって手元にないんでわかりませんが、劉備が入蜀する直前に戦っていますので、真ん中よりすこし後ぐらいかな。

ちなみに引き分けのはずです。

三国志最高の将軍は誰でしょう? 理由もお願いします。

三国志最高の将軍は誰でしょう?



理由もお願いします。







一般的には関羽でしょう。

死後神にまで崇められたほどです。

とにかく強い。また忠義に厚い。

敵の曹操も関羽の武勇と人格に惚れこんだそうです。

しかし武力だけの弟張飛と違い、学問にも通じていましたからまさに「無敵の将軍」です。








呉の丞相・陸遜だと思います。

若年ながら指揮をとった夷陵の戦いで蜀、石亭の戦いでは魏の大軍に圧勝!



事実上、関羽や劉備を死に追いやるなど、戦略面での知謀は申しぶん無し。周瑜、魯粛、呂蒙なき後の呉の指揮官として孫権の信頼あつく全軍を指揮する。荊州の戦いで関羽に青二才呼ばわりされたのは仕方のないことです。しかし、その後認識を改めた人物も多いと思います。







将軍の定義が難しいですが君主としての曹操達を除いた場合、

候補の一人として魏の張コウが挙げられます。



彼は黄巾の乱から諸葛亮の北伐まで、およそ50年近くに渡り

前線で戦い続け、そのほとんど全てに勝ち続けました。しかもその

戦績を見ていくと、初期の部隊長クラスに始まり、最終的には魏

の西方諸軍を統率する方面軍司令官までなっています。つまり、

兵の多寡に関わらず、実績を挙げていることになるのです。



実はあの当時部隊長クラスと方面軍司令官の両方で功績を挙げ

てる人物ってあまり多くはないのですよね。大抵の人がどちらかに

偏っている。関羽ですら方面軍司令官としては成功した、とは言い

難い面もある。そう言う意味で非常に貴重な存在です。



その用兵術も奇襲、機略を用いるかと思えば一転、包囲して相手

を干乾しにしたり、また諸葛亮率いる北伐軍の弱点を見抜き、退却

時に追撃することの危険性を指摘するなど、硬軟使い分けのできる

人物であります。こと戦術面においては諸葛亮や司馬イを凌駕して

いた、と言っても言い過ぎではないかと思われます。



また、将軍の立場でありながら、学問をよくし、儒者を愛し同郷の

優秀な人物を学者として推薦する等、一介の武辺モノでない側面を

うかがわせています。彼の字の雋乂、と言うのも古典から取られた

単語で、意味は「非常に優れている」とのことです。文武共にその名

に恥じない人物であったことは間違いないと思います。



最高、と言う定義は人それぞれかもしれませんが、間違いなくその

候補の一人に挙げられる人物だと思います。







防衛は陸抗 呉は陸抗の死後数年で滅びました孔明は死後も20年は蜀は持ったので



攻めるなら曹操 大きな大敗もしませんでした赤壁の戦いも軍に病気が流行ったからだそうなので



政治は孔明 劉備の死後崩壊する蜀を建て直しましたし1度の対戦で荒れた土地を1年2年で治す事を4回5回しているので



総合では曹操だと思います 政治孔明よりとは言えないけどそこそこ出来るし戦争も出来る万能の天才です



司馬イは圧倒的国力を持っていて滅ぼすことが出来ませんでした







曹操。伊達にあれだけの大国をつくちゃいましたし。

後は、司馬仲達かなぁ。孔明打ち負かしたし。

2012年3月27日火曜日

三国志の武将誰が好き?

三国志の武将誰が好き?

①・・・関羽



②・・・張飛



③・・・趙雲



④・・・馬超



⑤・・・黄忠・・・ここまでが蜀五虎大将軍



⑥・・・典韋



⑦・・・許褚



⑧・・・夏侯惇



⑨・・・太史慈



⑩・・・呂蒙



⑪・・・甘寧



⑫・・・姜維



その他でも構いません、回答お待ちしています。。。







③の趙雲ですね!



阿斗さまを曹操軍から救ったのは感動的ですねぇw



とにかく、かっちょいいですねw



信頼できる家臣ですね!



できれば、関羽と張飛とともに劉備と桃園の誓いをして義兄弟になってほしかった・・・・・








呂蒙をあげる人が誰もいないのは不思議です。

足軽から勉励刻苦して学問に励み、呉を代表する大都督にまで昇進する、現在のサラリーマンにも必要な自己啓発の見本の様な人物です。







劉嗔ですかね~…



成都陥落の際に、なんの躊躇いも無く降伏しようとする皇帝劉禅に対して『先代や数多の英雄・同胞が命を懸けて作り上げたこの国を…貴方はたった一日で明け渡すおつもりかッ…!!』

…と泣きながら憤慨する。

そして降伏直前に初代皇帝劉備の墓前で自刃する…





男だわ……







三国志後期を彩る鄧艾、姜維ですね。

鄧艾は吃音症、卑賤の出自といった当時としては致命的な二重ハンデを背負っていましたが、大国魏で頭角を現し、蜀軍を滅亡させるという功績を挙げました。相当罵倒され陰口を叩かれ苦労したはずです。それを一蹴し天下に名を挙げた鄧艾が好きです。姜維は亡き諸葛亮の遺志を継いで北伐を続けた武将です。後半は堕落した蜀の首脳陣と対立しかなり浮いた存在でしたが、最後の漢の大将として戦い続けたところは尊敬します。彼の生涯最後の大博打も適いはしませんでしたが、姜維らしい最期だったのではないかと思います。







太史慈から三国志が好きになりました^^

甘寧も好きです



最近は有名人では魏延、トウ艾、鐘会、張遼が好きです







劉禅です。。。。武将じゃないですが

キャラが何の取り柄ない自分自身と重なる(*_*)





どんなに忌み嫌われようが自由気ままに生きて天寿を全うしたので、

生き方自体憧れと言うか理想です…



情けないですが (´・ω・`)







王平です!え?地味だって?

そんなことないでしょ?

五虎将軍亡き後、魏延と一緒に各地を奮戦したし、真の忠臣でいわれたことはしっかり成し遂げる武将ですよ?

祈山の戦いでは馬謖に山頂に陣取るなと丞相がいったのをおわすれか?と諫言しました。

結局諫言意味無く敗れてしまったんですけど、王平が手勢を率いて馬謖を助けに行きました。



他にも五虎将軍は好きですし周泰、諸葛亮なんかも好きです!







ここに挙げてある武将は全て好きですが、私は呂布や陸遜が好きですね!ちなみに、⑦の武将は許楮(きょちょ)ですね!漢字違ってたらごめんなさい!

三国志で劉備、張飛、黄忠、夏口惇、ちょうせんはどこでどういうふうに死んだんで...

三国志で劉備、張飛、黄忠、夏口惇、ちょうせんはどこでどういうふうに死んだんですか?教えてください。







『劉備』

蜀漢皇帝となった劉備は221年、関羽を殺した孫権に対して報復として親征(夷陵の戦い)を行なった。初めのうちは呉軍を軽快に撃ち破りながら進軍、呉は荊州の拠点であった江陵を背後に残すまでに追い詰められた。しかし翌222年夏、蜀漢軍は夷陵にて陸遜の火計策に嵌り大敗し、劉備自ら白帝城に逃げ込み、ここに永安宮を造営して逝去するまで滞在した。



ここで劉備は病を発し、病床に臥せってしまう。そこで劉備は丞相・諸葛亮と劉永・劉理ら諸子を呼び寄せた。諸葛亮には「君の才能は魏の曹丕に十倍する。必ずや国に安定をもたらし、統一を果たしてくれると信じている。わが子、劉禅が帝君としての素質を備えているようであれば、これを補佐してくれ。だが、もし劉禅が補佐するに足りない凡器だと思ったのなら、君が取って代わって皇帝として国家を統率してくれ」と言い遺し、子供達に対しては「悪事はどんな小さなことでも行なってはいけない。善事はどんな小さなことでもこれを行なえ。お前達の父は徳が薄く、これを見習ってはいけない。『漢書』・『礼記』・『六韜(呂尚の著と伝えられる兵法書)』・『商君書(商鞅の著と伝えられる法律論)』等々を読んでしっかり勉強せよ。これより丞相(諸葛亮)を父と思って仕えよ。いささかも怠ったらばそなたらは不孝の子であるぞ」と言い遺して間もなく崩じた。享年63。





『張飛』

221年、劉備が蜀漢を建国すると、車騎将軍・司隷校尉・西郷公に昇進した。しかし同年、劉備が呉に対して荊州奪還戦の準備をしている最中、かねてから張飛に恨みを抱いていた部下の張達・范彊に殺された。劉備は張飛の都督から上奏文が届けられたと聞くと、その内容を聞く前に「ああ、(張)飛が死んだ」と悟ったという。





『黄忠』

史実では220年に亡くなっているが、『演義』では222年に行われた夷陵の戦いにも参加している。その最中、劉備が関興や張苞といった若者を称え、老兵を軽んじる発言をしたため、部下十数名で潘璋の陣へと斬り込んだ際に、馬忠の矢にあたり、それが元で75歳で死亡している。





『夏侯惇』

新野の劉備討伐の為に、10万の兵の大将として侵攻した際、敵先鋒の将軍趙雲を追軍し、博望坡まで深追いしてしまう。副将の李典は「博望坡は火計をしかけるのに優位な地形だ」と勧告するも、諸葛亮の火計にかかり潰走、大敗してしまう。兵の大半を逸した夏侯惇は、自らの処断を覚悟すると体を縛りつけ曹操と対面したが、曹操はこれを赦す。



220年、曹操の危篤に際し枕元へ呼びつけられると、そこでかつて曹操が殺害した人物達の亡霊を見てしまう。これに夏侯惇は昏倒、その後間も無く死去してしまう。





『貂蝉』

架空の人物であり、後漢の臣王允の養女とされる。楊貴妃・西施・王昭君と並び、古代中国四大美人の一人に数えられる。史実にその名は見えず、小説『三国志演義』に登場する。



董卓亡き後の貂蝉は呂布の妾となったが子ができなかった。(第十六回)下邳の攻防戦では、陳宮に掎角の勢を進言されこれに従い出陣しようとした呂布を正妻の厳氏ともに引き止めている。下邳陥落後の貂蝉については記述がない。



日本国内で広く知られる吉川英治の小説、それを元にした横山光輝の漫画、『三国志』では連環の計を遂げた貂蝉が自害して果てるという翻案がなされている。

三国志大戦3について。始めて1ヶ月なんですが三国志が好きだから始めたのですが...

三国志大戦3について。始めて1ヶ月なんですが三国志が好きだから始めたのですが全然勝てないので教えてください。
オークションで安くてセット物を買いましたがよくわからなくなりました。

手持ちカードは

SR軍師諸葛亮・李儒

SR孫策・陸遜・呂布・張角・とうがい

R軍師張角・陸遜・呂蒙・馬謖

R劉備・張飛・姜維・馬謖・趙雲・孫策・孫権・周瑜・丁奉・太史慈・賈ク・許チョ・典イ・呂姫です。

今現状で出来るデッキはありますか??何か必要なら賈ってそろえます。後はどうゆうデッキがオススメかを教えてください。よろしくお願いします。







始めは「蜀単(劉備の)大徳デッキ」か「呉単(若き王の)手腕デッキ」のどちらかがお勧めです。



現在所持されているカードでは後者の「手腕」デッキがそのまま完成しそうですね。なおコモンとアンコモンは入手可能のものと判断させていただきます。



手腕にもいろいろパターンがありますが、

R孫権、R太史慈、UC凌統(R周泰)、C朱桓(R孫尚香)、UC張紘(UC韓当) 軍師・陸遜(手に入ればSR周瑜)

がテンプレの形です。カッコ内は好みで分けてもらってもかまいません。



また、

R孫権、SR陸遜、R周泰(ここでは柵が欲しいので凌統は難しい)、C朱桓、UC張紘 軍師はできれば周瑜、無いなら魯粛 の孫武手腕デッキも作れそうですね



あとはSR甘寧が入手できれば

SR甘寧、R孫権、R太史慈、UC張紘、C凌操 の粘り手腕デッキが作れると思います。



現在の最有力デッキは「SR関羽、R魏延、UC関平、R徐庶 軍師・諸葛亮」の「忠義デッキ」が最近の流行かつ簡単です。

しかし、このデッキはメタの中心ですので使いやすい反面、対戦相手も研究してきていますのでスキルが低いと返って負ける可能性が高いデッキです。



あと、始めのうちは「英傑伝」で少し基本的な動作を学んだほうがいいでしょう。貴方の知り合いにプレイしている人がいたらプレイを教えてもらうもよしです。



ニコ動やYoutubeにも動画は載っていますがあれはある程度のスキルを持った同士のプレーヤーのプレイですので始めのうちは見てもそこまで参考にならないでしょう。しかし、計略の範囲や効果などがわかるので暇なら見てみては?

三国志大戦3の一発ギャグを考えてください。 例)肉を買いに行ってハムを買おうと...

三国志大戦3の一発ギャグを考えてください。

例)肉を買いに行ってハムを買おうとしたら店員に「ハム買っても無駄だ」と言われた。(R張飛)

面白くても、面白くなくてもどんどん出してください。







姜維の計略「挑発」に合わせて

旧カードのSRビ夫人の計略を使用する。



「はい底まで」



井戸突入








ネタならあるんですけどね。

旧LE孫策・旧C劉禅・SR馬超・R呂姫。

赤ボタンで全武将が蜀漢皇帝を「愚か者!」となじってくれます。







お約束ギャグとしては



孫堅が一騎打ちで勝ったときに

「孫文台を知らぬのか」というので

その後に









「知らんがな!」







お気に入りの武将復活直前に小喬さまの流星召還

→恐怖の大王復活?







R周瑜「赤壁の大火」

「焼き払え」

(龐徳が狙われる)

R龐徳「燃え尽きた・・」

(軍師の周瑜でも可)



SR関羽「忠義の大号令」

「皆の者、決死の覚悟で進むのだ」

UC甘皇后撤退

「いや~ん」(拒否)

(ぶっちゃけ何でも可)



UC馬岱伏兵解除

「ここにいるぞ」

UC顔良撤退

「何が起こった!?」



VSニガテなデッキ

R太史慈撤退

「相手が悪かったか」



C闞沢「命がけの推挙」

「汝らの力、見せ付けてやれ」

C蒯良撤退

「無理ダス」







ギャグではないが、



カン沢が「汝等の力、見せ付けてやれ!」(計略時セリフ)が

「パンチラの力、見せ付けてやれ!」にしか聴こえないのは私だけ?

三国志と酒のエピソード

三国志と酒のエピソード

三国志の酒豪といえば、孫権や張飛の名前があがりますが、

そのほかのエピソードで面白い話はないですか?







竹林の七賢で有名な「劉伶」は酒好きでした。

劉伶はその日も二日酔いで、ひどく喉が渇くので、

女房に酒を持ってくるようにいいます。



女房は、深酒と劉伶の身体を心配して、酒甕を叩き割って泣きながら、

「酒の飲み過ぎです。これでは養生の道に外れます。きっぱり酒を断ってください」

と頼みます。

劉伶は、

「よく諌めてくれた。が、私は意思が弱いので自分で止められないから、

神に誓って酒断ちの願をかけよう。

すぐにお供え用の酒と肉を用意してくれ。」

女房が早速用意すると、

劉伶は神前に酒と肉を供え、こう祝詞をあげます。

「天は劉伶を生みたまい、酒をもって名を挙げさせたもうた。

ひとたび飲めば一こく、酔い覚ましに五斗が適量。

婦人の言葉など心してお聞きにならないように」。

そしてすぐさま酒を引き寄せて、肉を食らい、陶然として酔っ払ってしまいました。



孫権の議朗であった「鄭泉」は、主君に負けず部類の酒好きでした。

常々、

「船一杯に五百石の美酒を満たして四季の旨いものを酒の肴として用意する。

船の中で泳ぎ遊び、潜ったついでに酒を飲み、疲れたら肴を食べる。

酒がちょっとでも減ったら、すぐ継ぎ足す。

そんなことがやれたなら愉快ではないか」

私は酒を飲めないので想像も出来ませんが、酒好きな方の夢でしょうね。



また、鄭泉は死に臨んで友人たちに、

「私を必ず陶器作りの家の側に葬ってくれ、百年の後、私の遺骸は土に化し、

うまくすればその土が使われて酒壺になれるやも知れぬ。

そうなればしめたものだ。」と遺言したといいます。








酒のエピソードと言えばこんな話が…

劉備は蜀で禁酒令を出そうとした時、酒の醸造道具を持っている者まで罰しようとしたとき

部下の簡ヨウが窓際まで行き道行く男女を指差し「それなら淫らな行為をする男女

全てを罰しなさい」と切り替えし撤回させたそうです。

あと孫権の酒のエピソードで

孫権が呉の皇帝になりその祝いの席で張紹に皮肉をいったそうです。

その内容は赤壁の戦いの前に降伏か先頭かでもめて張紹が降伏論を唱えていたことを皮肉って

「もしあの時張紹の意見を受け入れて降伏していたら皇帝はおろか人に物を恵んでもらって生活していただろう」

といったそうです(酔っ払っていたんだろうなぁ…)。そして張紹は恥じて病気になりすぐさま引退し全てのもの(爵位、領地)

を返上して隠居生活に入ったそうです。







曹操は酒豪というほどではないが好きではあったようですし(そのような詩を残しています)、酒の造り方を改良したそうです。

当時の酒がどのようなものであったのか、どのように改良したのかまではわかりません。

あと、曹操が劉備を招いて、酒で梅を煮てもてなす、というのがありましたね。

酒で梅を煮る。どのようなものができるのか試してみたいと思いながらまだ試していませんが・・・・・。

知っている三国志の武将を教えて下さい。

知っている三国志の武将を教えて下さい。

知っている三国志の武将を好きなだけ教えて下さい。読みがなも

付けて下さい。250枚あげるのでよろしくお願いします。







伊籍いせき、韋晃いこう、韋康いこう、韋誕いたん、韋曜いよう、尹大目いんだいもく、尹黙いんもく、尹礼いんれい、殷観いんかん、于禁うきん、衛固えいこ、衛茲えいじ、袁遺えんい、袁渙えんかん、袁煕えんき、袁術えんじゅつ、袁紹えんしょう、袁尚えんしょう、袁譚えんたん、閻宇えんう、閻温えんおん、閻柔えんじゅう、閻圃えんほ、区星おうせい、王允おういん、王観おうかん、王基おうき、王匡おうきょう、王業おうぎょう、王経おうけい、王伉おうこう、王国おうこく、王渾おうこん、王粲おうさん、王戎おうじゅう、王脩おうしゅう、王粛おうしゅく、王濬おうしゅん、王祥おうしょう、王双おうそう、王昶おうちょう、王蕃おうはん、王平おうへい、王甫おうほ、王淩おうりょう、王連おうれん、王累おうるい、王朗おうろう、温恢おんかい、何晏かあん、何進かしん、何苗かびょう、夏侯威かこうい、夏侯淵かこうえん、夏侯恵かこうけい、夏侯玄かこうげん、夏侯尚かこうしょう、夏侯惇かこうとん、夏侯霸かこうは、夏侯楙かこうぼう、華覈かかく、華雄かゆう、賀斉がせい、賈逵かき、賈充かじゅう、郭奕かくえき、郭嘉かくか、郭淮かくわい、郭図かくと、楽進がくしん、霍峻かくしゅん、霍弋かくよく、毋丘倹かんきゅうけん、甘寧かんねい、桓階かんかい、管亥かんがい、管寧かんねい、関彝かんい、関羽かんう、関興かんこう、関靖かんせい、関平かんへい、韓曁かんき、韓浩かんこう、韓遂かんすい、韓当かんとう、顔良がんりょう、紀霊きれい、戯志才ぎしさい、曁艶きえん、魏延ぎえん、魏続ぎしょく、魏諷ぎふう、魏攸ぎゆう、牛金ぎゅうきん、牛輔ぎゅうほ、許劭きょしょう、許靖きょせい、許攸きょゆう、姜維きょうい、橋玄きょうげん、虞翻ぐほん、郤正げきせい、牽招けんしょう、厳顔げんがん、厳綱げんこう、呉懿ごい、呉巨ごきょ、呉質ごしつ、呉班ごはん、顧雍こよう、公孫淵こうそんえん、孔融こうゆう、黄祖こうそ、黄蓋こうがい、黄権こうけん、黄忠こいちゅう、国淵こくえん、崔林さいりん、蔡瑁さいぼう、審配しんはい、秦朗しんろう、司馬懿しばい、司馬朗しばろう、司馬孚しばふ、司馬師しばし、司馬昭しばしょう、司馬望しばぼう、司馬炎しばえん、車冑しゃちゅう、周泰しゅうたい、州泰しゅうたい、周瑜しゅうゆ、朱治しゅち、朱然しゅぜん、朱桓しゅかん、朱異しゅい、荀攸じゅんゆう、諸葛亮しょかつりょう、諸葛瑾しょかつきん、諸葛恪しょかつかく、諸葛瞻しょかつせん、諸葛尚しょかつしょう、諸葛誕しょかつたん、向寵しょうちょう、向朗しょうろう、蒋済しょうせい、蒋義渠しょうぎきょ、徐晃じょこう、徐盛じょせい、常林じょうりん、鮮于輔せんうほ、全尚ぜんしょう、全端ぜんたん、祖茂そも、沮授そじゅ、沮鵠そこく、曹操そうそう、曹休そうきゅう、曹仁そうじん、曹洪そうこう、曹真そうしん、曹純そうじゅん、曹昂そうこう、曹丕そうひ、曹植そうしょく、曹彰そうしょう、曹宇そうう、曹叡そうえい、曹芳そうほう、曹爽そうそう、曹羲そうぎ、曹髦そうぼう、曹奐そうかん、棗祇そうし、宗預そうよ、孫堅そんけん、孫策そんさく、孫権そんけん、孫静そんせい、孫翊そんよく、孫瑜そんゆ、孫峻そんしゅん、孫登そんとう、孫和そんか、孫霸そんは、孫亮そんりょう、孫休そんきゅう、孫晧そんこう、孫邵そんしょう、太史慈たいしじ、太史亨たいしきょう、卓膺たくよう、張休ちょうきゅう、張温ちょうおん、張裔ちょうえい、張衛ちょうえい、張華ちょうか、張角ちょうかく、張既ちょうき、張郃ちょうこう、張紘ちょうこう、張虎ちょうこ、張昭ちょうしょう、張紹ちょうしょう、張承ちょうしょう、張達ちょうたつ、張飛ちょうひ、張苞ちょうほう、張遼ちょうりょう、趙雲ちょううん、趙広ちょうこう、陳珪ちんけい、陳泰ちんたい、陳羣ちんぐん、陳登ちんとう、陳震ちんしん、陳琳ちんりん、程普ていふ、程武ていぶ、程昱ていいく、丁原ていげん、丁奉ていほう、田疇でんちゅう、田豊でんほう、陶謙とうけん、董卓とうたく、董旻とうびん、董承とうしょう、董允とういん、滕胤とういん、杜襲としゅう、杜恕とじょ、杜預とよ、馬騰ばとう、馬超ばちょう、馬岱ばたい、裴潜はいせん、潘濬はんしゅん、費詩ひし、費観ひかん、費イひい、傅幹ふかん、歩隲ほしつ、法正ほうせい、龐統ほうとう、龐徳ほうとく、濮陽興ぼくようこう、孟達もうたつ、孟獲もうかく、楊儀ようぎ、楊奉ようほう、羅憲らけん、駱統らくとう、李恢りかい、李儒りじゅ、李典りてん、李厳りげん、李豊りほう、李福りふく、劉焉りゅうえん、劉虞りゅうぐ、劉永りゅうえい、劉範りゅうはん、劉禅りゅうぜん、劉備りゅうび、劉放りゅうほう、呂乂りょがい、呂凱りょがい、呂布りょふ、呂岱りょたい、呂蒙りょもう、陸遜りくそん、陸胤りくいん、陸抗りくこう、魯粛ろしゅく、楼玄ろうげん、盧植ろしょく。








曹操(そうそう)

孫権(そんけん)

劉備(りゅうび)

諸葛亮(しょかつりょう)

関羽(かんう)

張飛(ちょうひ)

趙雲(ちょううん)

袁紹(えんしょう)

張遼(ちょうりょう)

呂布(りょふ)

馬超(ばちょう)

劉表(りゅうひょう)

張角(ちょうかく)

徐晃(じょこう)

孫堅(そんけん)

孫策(そんさく)

孟獲(もうかく)

劉焉(りゅうえん)

何進(かしん)

程普(ていふ)

劉禅(りゅうぜん)

曹仁(そうじん)

袁術(えんじゅつ)

顔良(がんりょう)

文醜(ぶんしゅう)

廖化(りょうか)

三国志大戦3のデッキに劉備を入れたいのですが、どっちの劉備を入れた方がいいです...

三国志大戦3のデッキに劉備を入れたいのですが、どっちの劉備を入れた方がいいですか??

軍師:ほうとう

SR劉備

R徐庶

R関銀屏

UC関平


今のデッキはこんな感じ何ですがアドバイスよろしくお願いします!







とりあえず、2コスト足りないんですが・・・書き忘れですかねw

どっちを入れるかはその人次第ですが、運用が楽なのは、SR劉備の大徳デッキでしょう。

主に、2・2・2・1・1か、2・2・1.5・1.5・1の構成が主流です。



SR劉備の大徳デッキの利点は、リスクが少ない事です。

士気6で広範囲の味方の武力を+5するので、初心者から上級者まで幅広く使われています。

ですが、+5でしかない事と、本人のスペックが低めなため、上手く使わないと普通に押し負ける事もしばしばあります。

多少馬鹿でも良いので、なるべく素の武力が高い武将が居ると安定します。

ダメージ計略などは、その計略範囲の広さを利用して、固まらないようにして対処しましょう。



R劉備の桃園デッキの利点は、爆発力がある事です。

士気こそ7と重いですが、武力+10の破壊力は相当な物です。

ですが、計略の効果中に計略がかかっている味方が一人でも撤退すると、

その他の計略がかかっている味方も撤退してしまいます。

特に計略がかかっている張飛などが火計とか落雷とか水計で落とされると、目も当てられません。

なので、ハイリスク・ハイリターンなデッキです。

桃園の武力上昇値を考慮すれば、多少低武力でも知力の高い武将を入れる方が良いです。

桃園の計略範囲はそんなに広くないので、どうしても固まってしまいます。

なので、ダメージ計略を食らっても一発で撤退しないくらいの知力であれば、その後は武力上昇分で逆転できます。

また、馬鹿な奴だけは計略に入れないという選択肢もあります。



デッキサンプル

SR劉備、R馬超、R徐庶、UC関平、R関銀屏

SR劉備、R魏延、UC黄忠、C寥化、C夏侯月姫

SR劉備、R姜維、UC張飛、C寥化、C呉イ

SR劉備、R魏延、R徐庶、UC関平、C寥化



R劉備、UC黄忠、UC関平、C夏侯月姫、C寥化

R劉備、R趙雲、R徐庶、R関銀屏、C伊籍

R劉備、R魏延、R馬ショク、C寥化、C呉イ

R劉備、R姜維、UC関平、C寥化、C伊籍








入れるならSRのほう、Rの方は現在の環境(徐庶の氾濫+強力な雲散持ちの存在)では殆ど使えない。



デッキに関してはまずコスト割れしている時点で論外。2コスト不足しているので誰かの書き漏れかもしれませんが。



ただ、仮に書き漏れとしても大徳デッキに1.5を採用するのは正直難しいと思われます。

恐らく徐庶のために1.5を裂いていると考えますが、その場合構成される武力が最高でも「9、6、6、4、4」となり、総武力は高いがそれぞれを見た場合若干低めになります。

このような構成の場合、劉備以外の2コストにかかる比重が相当大きくなるので、正直ここでデッキ診断を依頼するレベルのプレーヤーでは使いこなすことは難しいと思われます。



安定したい場合はやはり2コスト*3+1コスト*2の構成でしょう。

2コストは個人的にR魏延とR馬超。

次バージョンでは魏延は若干弱体化しますが武・知のバランスがよく、馬超は計略の効果時間が大幅延長の模様なので劉備が落ちた場合の保険やダメ計・妨害持ち多目の時に強くなりそうです。

UC張飛でもいいですが、知力1と計略に汎用性がないので大徳デッキでは使いたくないですね。これを入れるならほぼC趙累とセットになります。



1コストは夏侯月姫はほぼ確定として残り1枚は好みでいいでしょう。

上記のように張飛+趙累ペアでもいいですし、特技重視で関銀屏、機動力重視でリョウ化、武力重視で周倉、バランス重視で旧UC姜維、攪乱目的で張松etc いろいろあります。







取り合えず、何よりコストは8までがっちり埋めましょう。

コストに空きを作ってしまうと、もうそれだけで不利です。



大徳劉備は、武力インフレが起きる中でコスト2、武力6の槍兵というものは、使いこなす事が中々難しいと思います。

無論好き嫌いにもよるでしょうが、それでも私は大徳か桃園であれば、大徳を薦めたいです。



その理由としては、

・現在はR徐庶が幅を利かせており、知力9のピン落雷は知力7を確殺。

・大徳劉備はコスト2のため他の計略、勝ち筋カードを投入しやすい。



……といったものが挙げられます。



あと、銀屏を回す事に拘らないのであれば、むしろそれを抜いて趙累を入れた方がいいかと。

残りコストを張飛で埋めれば、士気3で武力13の車輪が出来上がります。

三国志の登場人物で史実(真実とは限りませんが)と演義では活躍の度合いが全く違う...

三国志の登場人物で史実(真実とは限りませんが)と演義では活躍の度合いが全く違う人がいます。そのなかの厳顔について。


正史では巴郡太守で、劉備の入蜀について「一人で奥山に座し、猛虎を放って我が身を守るようなものだ」と嘆息したのと、張飛に捕えられ、断頭将軍の故事を残すのみです。

演義では大活躍していますが、何か下地の出典はあるのでしょうか?







いろいろ調べてみましたが、厳顔が活躍する話しというのは見つかりませんでした。

『華陽国志』は正史の記述をもとにしており、『張飛伝』とほとんど同じことしか書いてありません。



そもそも厳顔が劉備の武将となったかどうかもはっきりしていません。

『張飛伝』には「引為賓客」とありますが、これは厳顔を壮士と認めて縄を解き賓客として対応した、という意味で、部下にしたとは言っていません。

もし厳顔が蜀漢の将として活躍したのなら伝が立てられるはずですが、それが無いということは、蜀漢で官位を得ていないのではないでしょうか。



厳顔の出身地は三峡下りで有名な忠州ですが、この地名は唐太宗李世民が巴曼子と厳顔という2人の忠臣にあやかってつけたと言われています。

巴曼子は春秋時代の巴国の将軍で、楚の属国になるのを拒否して自殺しました。

厳顔も張飛に許された後、蜀漢には仕えず、劉璋が降伏したら巴郡で自殺したのではないでしょうか。



宋の詩人蘇東坡は厳顔を謳い「劉璋固庸主,誰為死不二(劉璋はもともと庸主であり、死んで二君に仕えないという者がいるはずが無い)」、「国亡君已執,嗟子死誰為(国は滅び君主は既に降伏してしまった。厳顔の死は誰のためだったのか」と言っています。

暗君劉璋は国を棄てて降伏したが、厳顔は忠義を全うして自殺したようです。



更に、宋末文天祥の有名な詩『正気の歌』に「為厳将軍頭,為嵇侍中血。為張睢陽歯,為颜常山舌」とあります。

厳将軍は厳顔、嵇侍中は嵇康の子・嵇紹で八王の乱で皇帝を守って死んだ忠臣、張睢陽は張巡、颜常山は颜杲卿でどちらも安史の乱の時に殺された唐の忠臣です。

この4人の筆頭になっている厳顔が、実は劉備に降伏して天寿を全うしていた、というのはふさわしくないように思います。



忠県という名前、蘇東坡と文天祥の詩から、宋代頃までは厳顔は劉璋が降ると自殺した、という考え方が普及していたように思います。



但し元代の『全相三国志平話』では厳顔が張飛に降ったことになっています(下巻に「厳顔免死納降」とあります)。

知識人の間では厳顔は忠臣として死んだが、民間では殺すに忍びなく、劉備の部下として功を挙げた、と語られていたかもしれません。

その『平話』でも厳顔に関しては、張飛に降って王平を仲間に招き入れたくらいの活躍しかなく、ほとんど名が出てきません。

(『平話』の王平は劉璋の将でしたが、厳顔に誘われて劉備に降りました。その後、孔明の南蛮討伐に従軍して雲門関を攻めるが落せず処刑されています)



『三国志演義』がとりいれている話はだいたい宋元の頃には講釈などで世に広まっていたはずですが、厳顔に関しては特に出典はなく、ほとんどが『三国志演義』の創作ではないでしょうか。








『華陽国史』や『三國志集解』までは読んでないので、詳しくはわかりません…。

想像で申し訳ないのですが、アチラの(知識人の?)考え方では、「対」がけっこう重要みたいです。対句とか。

で、文人が書いた文人のための演義が『三國演義』だとすると、黄忠との対かと思います。

様々な要素で、二つ一組で落ち着くペアがけっこうあるはずです。



で、劉備ヒイキの演義なので黄忠が活躍し、黄忠の対として厳顔がジイサンにされて活躍。たぶん、降服せずに処刑された張任とも、厳顔は対でしょう。



三国志で、義兄弟の誓いを交わした劉備、関羽、張飛の三人ですが、いつどんな状況...

三国志で、義兄弟の誓いを交わした劉備、関羽、張飛の三人ですが、いつどんな状況で出会い、義兄弟の誓いを交わすまでに至ったのでしょうか?

速攻で意気投合ってことも無いと思うのですが・・・







劉備が郷里で黄巾賊討伐の義勇軍を募った時に、関羽や張飛が従軍していたようです。

叛乱軍を追って各地を転戦し、虎口をくぐり抜ける内に強い連帯感と信頼感が育まれたようです。

臣下の隔たりが厳しい社会で、分け隔てなく同じ帷幕で休んでいたそうです。

桃園の義そのものは、後世のフィクションですが、それに近い心情が劉備主従にあったのは間違いないと思います。










というのも作り話。



正史を見ても、「関羽と張飛は若い時から劉備に師事していた」としか書かれていません。

ま、チンピラが先輩ヤクザを「兄貴」と呼ぶのと似たような関係だったのでしょう。







劉備が母のために茶を買いに行った帰りに

山賊に襲われ

その時に助けに入ったのが張飛です。



劉備はその時にお礼として大切にしていた剣を張飛にあげてしまいました





関羽は張飛が貰ったそのりっぱな剣をみて驚いていました

張飛は家に戻ったときに関羽にその時の話をしました

(関羽と張飛はすでに兄弟のような間柄でした)

劉備は家に戻ったとき剣をあげてしまったことに激怒



関羽と張飛はその剣を返すため

劉備の家へ訪れ

関羽と張飛は劉備の母を見て威厳のようなものを感じ平伏しました



そして、貧乏ながら最高のもてなしと

劉備と母の人徳に惹かれて

義兄弟の契りをかわしましたとさ



おわり







ならず者時代の兄貴と弟分のつながりです。

その辺は、前漢高祖の劉邦の生い立ちに似ています。







三国志演義は所詮は「作り話」です。本当のことは分かりませんよ。

三国志大戦3について デッキ診断お願いします。 3品です。 大徳劉備、孫尚香、R...

三国志大戦3について

デッキ診断お願いします。

3品です。

大徳劉備、孫尚香、Rホウ統、UC張飛、UC鮑三娘で軍師は諸葛亮とビジクを使ってます。


戦い方は開幕は端攻めで、中盤は大徳→七星祈祷→大徳で攻めて終盤は復活2人と連環で守り切るといった感じです。

ちなみにこのデッキで覇者求や決起、機略に勝った事がありますが、麻痺矢にはほとんど勝てないです。

何かアドバイスあれば何でも良いので出来れば細かくお願いします。







武力依存度が上がった現Ver、1コス枠には騎兵を入れる事をオススメします。

よって、SR孫尚香→SRホウ統、Rホウ統→C廖化or夏候覇

はいかがですか?

他にも、SR孫尚香→UC関策にして総力戦に備えたり、ホウサンジョ→R徐庶にして流行りの超絶強化を押さえる手もあります



また、対麻痺矢の立ち回りですが、序盤は片側からガン攻めして城ゲージで優位にたたないと、よほどの事がないかぎり勝てないと思っていいです

最悪奥義増援などを使ってでも、序盤に攻城をとるべきです





三国志を題材にした本宮ひろしの「天地を喰らう」というアクションゲームがあった...

三国志を題材にした本宮ひろしの「天地を喰らう」というアクションゲームがあったのですが、

選べるプレーヤーが関羽、張飛、趙雲、黄忠、そして魏延なのですが、何故馬超ではなかったのでしょうか?

三国無双で曹洪が出てこない、郭嘉や徐庶が出て来ないと言った不満のさきがけでした。

曹洪に面白みが無いのは分かっていますが、1人だけ出てこないのはどうも引っかかりました。

田村4兄弟の次男とか、揃いそうで揃ってないのが引っかかります。







「天地を喰らうⅡ 赤壁の戦い」ですね。今でもサターン版で遊んでます。



他の書き込みにもあるとおり、このゲームは博望坡の戦い~赤壁の戦いまでが舞台になっており、

これは西暦でいうと208年ごろの話です。馬超が劉備に帰順したのが214年ごろなので、

さすがに無理があると思います。

それを言うなら黄忠と魏延も赤壁の前に仲間になっているのはおかしいのですが、

遠距離攻撃が得意な黄忠・バランスがよく必殺技(サマーソルト)が使いやすい魏延と

どちらもプレイして楽しいキャラなので、許しましょう。








活躍度から見れば魏延のほうが遙かに↑

馬超とかおらんでもいいけど魏延がいなければ

蜀は人材不足というレベルじゃないだろーな







赤壁の戦いの後すぐ黄忠と魏延が傘下に加わります。製作者側は赤壁の戦い前後しか注目していなかったのではないかと思われます。

馬超が蜀に帰順するのが魏延より遅かった為だと思います。



天地を喰らうⅡ赤壁の戦いのエンドロールに続編を匂わせて置いて製作しなかったカプコンに不満です。



真・三國無双も郭嘉や徐庶をプレイキャラに加えて欲しいです。



本宮ひろ志に三国志演義を忠実に漫画化して貰いたいと思います。

三国志大戦のデッキ診断です。 SR大徳劉備、R趙雲、R関銀ペイ、R夏候覇、UC張飛です...

三国志大戦のデッキ診断です。

SR大徳劉備、R趙雲、R関銀ペイ、R夏候覇、UC張飛です。

戦い方や改善点などのアドバイスをお願いします。







デッキとしては普通の大徳という印象です。

安定させたいなら挑発や落雷を入れると良いでしょう。このデッキでは超絶対策が難しいので。

現在蜀のデッキは忠義、象回復以外はお客様状態です。特にスタンダードで、足の遅い大徳は厳しい環境です。

範囲の広さを活かして攻め、2コスト特に趙雲、張飛は無駄に撤退させないことが重要だと思います。

サンプル

SR劉備R張苞R徐庶UC馬岱R関銀屏軍師ホウ統

質問のデッキから神速を残し挑発系と落雷を加えたもの。仁王→目覚めもできなくはない。

三国志大戦のデッキ診断です。 SR大徳劉備、R趙雲、R関銀ペイ、R夏候覇、UC張飛です...

三国志大戦のデッキ診断です。

SR大徳劉備、R趙雲、R関銀ペイ、R夏候覇、UC張飛です。

戦い方や改善点などのアドバイスをお願いします。







22211型の大徳としてはわかりやすい型です。ある程度勝つことは出来ると思いますが、気掛かりなのが落雷、挑発などの超絶対策になる計略がない点。呂布や孫策などには余程上手く立ち回らないと苦しいです。

余り構成を変えずに対策計略を加えると

R張苞SR劉備UC馬岱R徐庶R関銀屏

UC張飛SR劉備R馬謖UC馬岱C夏侯月姫

辺りでしょうか。

軍師は諸葛亮推奨。安定の七星に加え精兵内に武力9+大徳で関銀屏が回ります。

超範囲を活かして妨害などをかい潜り、戦場を広く使い戦いましょう。








悪くないですよ。ただ妨害ダメ計を入れたほうがいいです。

つまり、落雷や挑発も常備しといたほうが、超絶系に対処できます。

軍師はSR諸葛亮を薦めます。再起系でもいいです。

私なりに組んでみると、



GSR諸葛亮

SR劉備

UC張飛

R馬謖

R徐庶

R夏侯覇



なんてどうでしょう。

伏兵2体に挑発、落雷もある形。

参考になりますか?







いいデッキだねぇ。

R魏延に入れ替えてみては如何ですか?戦略の幅が少し広がるよ。

R張苞もいいよ。

三国志のおもしろエピソードなにかありませんか?

三国志のおもしろエピソードなにかありませんか?

三国志のおもしろい話や深いなぞなどたくさん教えてほしいです。



よろしくお願いします。







三国志演義では、現代では考えられないくらいの超人が出てきますが、その中でも際立つのが以下の①に書きます『兀突骨』ではないでしょうか。



①兀突骨:身長12尺(276cm)、身体がウロコで覆われており、生で獣や蛇を食する化物ですw…もう人間じゃないね。絶対にwww



②有名武将が使用した武具の重量の非常識さw関羽が使用したとされる『青龍偃月刀』の重さは82斤(18kg)、典韋が使用した『双鉄戟』の重さは80斤(17.6kg)。とても現代人が振り回せる重さじゃないです。こんなのを自在に使いこなせる武将は、これまた化物ですな。



また、三国志に関連した笑い話を一つ。

とある男が野ざらしになった骸骨を見つけて、丁寧に供養したところ、その夜に男の家の戸を叩く者がいました。「誰だ」と問うたところ「妃(フェイ)です」とのこと。さらに問うと「私は、日中に野ざらしになっていた骸骨で、名は楊貴妃です。供養してもらい、感謝の意も込めて、夜伽をさせてください」と話します。はたして、その夜、男と夜を共にしました。

この話を聞いた隣の男が羨み、自分も同じ恩恵を受けようと野ざらしになった骸骨を見つけ、丁寧に供養しました。するとその夜に男の家の戸を叩く音が。「誰だ」と問うと「飛(フェイ)だ」とのこと。「楊貴妃かい?」と問いかけると「俺は張飛だ」と答えます。「張飛将軍が、なぜ私の家へ?」と問いかけると「俺は殺されてから葬られもせずに野ざらしになっていた。貴公に供養をしてもらったゆえ、御礼として夜伽をさせていただきたい」と言い、男は大層たまげた。

という話もあります。



一つ思い出しました。

董卓が殺害された時、死体が晒されたのですが、肥満であったことからへそに芯を差し込み、火を灯したそうです。そしてその火は董卓の脂を糧として数日にわたり燃えていたそうです。








面白い話ではないですが、曹叡のチョットいい話でも。



曹叡が少年時代に、父親の曹丕に連れられて狩りに行ったところ、山間から鹿の母子が追い立てられて来た。

曹丕はすかさず母鹿を射止め、曹叡に対し子鹿を射るようにに命じた。

すると曹叡は泣きじゃくりながら「陛下が母鹿を殺されましたのに、そのうえ子鹿まで殺すのは忍びませぬ」と答えたという。





これを見ると、曹叡は優しい人物なのかなぁ?







魏の重臣 諸葛誕は司馬氏が曹一族をさいおいて実権を握っていることに不満を持ち反乱をおこすがすぐに鎮圧されてしまう 鎮圧寸前 誕 は部下にお前たちは降伏し生き残れと言いますが部下たちは一人として降伏せずにみんな死にました







郭氾は毒を飲まされたと誤解してうんこをのんで吐いたらしいです



孫権と張昭は仲が悪くてある会議で張昭の意見を孫権が却下したのですが

後で張昭の意見が正しいとわかり孫権は謝りに張昭宅

行くのですがなかなか張昭が出てこずいらついた孫権が張昭宅の門を土でふさぐのですが

張昭もうらから門を土でふさぎとうとう孫権が張昭宅に火をつけるのですが

それでも張昭が家から出てこないのであわてて火を消したらしいです



孟獲は実は孟獲のいた地方雲南では崇拝されており

その雲南では孟獲が孔明を7回捕まえて7回放ったという事になっている



呂布が曹操に殺された理由は1説には

張遼が降伏してくれたからすぐ裏切る呂布はいらないねという説がある



諸葛亮が劉備に仕えたのは曹操に仕えるより劉備に仕えた方が

出世できるという黒き打算があったからという説がある



趙雲には実は兄がいた



張遼にも張汎という兄がいた



賈くは4回主君を変えている



途中から話がそれましたが面白い話はこれだけです







三国志演義で、



張飛が勅使を縛り上げ、木の枝で叩きまくったというのがありますが・・・





じつは叩いたのは劉備です。







趙雲のエピソードはどれも大好きですが

彼の男気が感じられるのが、桂陽城太守趙範に彼の兄嫁を妻にしてやってもらえないか、とすすめられる場面です。



劉備軍が攻め込んで来たとき、あまりに趙雲が強かったので、趙範は彼を宴席にまねき、趙範の兄の未亡人を引き合わせて味方に引き入れようとしました。

それを趙範の下心と見抜いた趙雲は、顔面パンチをくらわせ、ふとどきな性根を一喝したそうです。



のちに、劉備と諸葛亮が、趙範の誘いに乗らなかったわけをたずねたら、趙雲は、

「趙範の兄とはちょっとした知り合いで、だからこそ彼の嫁をめとるのは人道に反する。その婦人も、人から後ろ指さされるだろう。

なにより、もし自分がそんな過ちをしでかしてしまったら、そんな家臣をもつ奴よと、世間から劉備があなどられ、天下統一の大業も成し遂げられなくなってしまいます」

と、いうようなことを言って、二人におおいに感心されたことです。

この、なによりも劉備第一に物事を考えるところがいいですね。







個人的には・・

曹操の友人が来て、もてなすときの酒の席で

食べものに、頭からつっこんで

頭巾をベトベトにし、AHAHAHAHA!

としていたというエピソード。



まねできない・・・







面白エピソードは、あらかた書かれているので、せつない話を書こうと思います。

陸遜の最後です。

孫権の後継者争いにによって、呉はほろんでいったのは、ご存知ですよね(孫皓がわるいんですけど・・・)?

その時陸遜は、孫権の三男の孫和を推薦していました。そして対立していた四男の孫覇を推薦していた重臣たちに恨まれ、身に覚えのない罪状が陸遜に届きます。陸遜は自殺しようとしましたが、自殺しては罪を認めたことになると思い、孫権」のところへ行き、話そうとしましたが、倒れてしまいました。その後無実だったことが分かり、孫権は後悔したそうです。

陸遜の息子のエピソードもあります。

名は陸抗といいます。陸抗は晋とにらみあっていたときに晋の羊祜という人物の素晴らしさに気づき、尊敬するようになります。羊祜もおなじで、陸抗を尊敬するようになり、お互いに敵同士でありながら、尊敬しあったということです。







劉禅が降伏する前に第5子・劉甚が涙ながらに降伏反対を唱え説得を試みたが受け入れられず、妻と子を殺し、自ら劉備の墓前で自害したそうです。

孔明の死後、ロクな人材はいませんでしたが、辱めを受けるより潔く死を選ぶ男気のある血縁がいた事に目頭が熱くなりました。







孫権が酔っ払い、酒宴に出席しなかった張昭の家に放火した(未遂?)という話を聞いたことがあります。







謎…?

知恵の輪は、諸葛亮公明が遠征に出ている間、奥様に寂しい思いをさせないための遊び道具として作ったのが始まりだと言われています(^^)



もう一つ。諸葛亮公明の子孫は、街全体を「八卦の陣」の形にして今も暮らしているそうです(かなり前にTVで観たので、町の名前などは覚えていないのですが…)







劉備が孫夫人と結婚して呉にいる時の話です。

孫夫人は男勝りで武術が大変大好きで普段から腰に弓矢を携えていて弓腰姫とも呼ばれていました。

侍女達にも常に薙刀を持たせていたりしていました。

劉備は結婚後、彼女の部屋へ初めて入ろうとした時、その光景を見て物凄く驚いて殺されると思ったそうです。

その後も彼女の部屋へ入る度にビクビクしながら入っていたそうです。



あと、曹操は若い時エンショウと花嫁泥棒をしていました。

結婚式の会場へ行き、大声で「泥棒だ!!」と大声で叫び出席者が驚いて外へ飛び出した隙に花嫁をさらって犯していたそうです。

とある日、失敗して追い掛けられていてエンショウが転んで茨に引っ掛かって抜けられないでもがいていた時に曹操は

「花嫁泥棒はここにいるぞ!!」と叫んでエンショウはビックリして何とかそこを抜け出し逃げ切れたことがありました。







姜維の話なんですが、彼が蜀に仕えるようになってから、魏では彼の母親に彼が戻ってくるよう手紙を書けと言いました。でも手紙のせいで息子が蜀で疑われることを心配した彼女は“当帰”という薬を送りました。「当に帰るべし」という意味を込めて。すると、母親の気持ちを知った彼は“遠志”という薬を送りました。意味は「遠大な志を果たす」という意味でした。息子の決意のほどを知った母は、以後、周りの人々になんと言われても意に介さなかったということです。

立派な子の親も立派だったんだ・・・と思いました。







自分は曹操が劉備に天下を取るのは私か君だと言った時

劉備が相手の警戒を解くために雷に怯える所ですね







やっぱり、赤壁の戦いじゃないですか。