2012年3月27日火曜日

三国志に出てくる人物は全て実在した人ですか?

三国志に出てくる人物は全て実在した人ですか?







正史に出てくる人物はほぼ100%実在です。

もっとも、歴史は観点が異なるので書かれている事と

本当の人物像が一致するかは不明ですが、、、

(張飛は暴れん坊のイメージですが、若い頃は劉備が行なった

悪行を張飛が行なった事にしているとか)



で、三国志演義はあくまで物語ですので、架空の人物や

事実にない点は多くあると思います。








正史の人物は実在したと言われています。



演義は架空が多いですね。正史には出ない人物や関係性も多いですし、何より劉備達が美化され過ぎですね







歴史書の三國志に登場するのは実在の人物ですが

三國志演技に登場する人物の中には作者のフィクションもあります

関羽の部下の周倉など脇役に多いですよ

三国志が好きな友達がいるんですが 前に…「800人の軍団で10万人の軍団を倒した人...

三国志が好きな友達がいるんですが



前に…「800人の軍団で10万人の軍団を倒した人がいる」



見たことを語られたんですが。

本当に実話なんですか???




中国の話しだから、信憑性が薄そうだし。









スパルタ(?)の300人で1万人を倒したって

話しですらにわかに信じ難いんですが…。









張遼が孫権の大軍に奇襲かけて引かせた話ですね。

エピソード自体は本当に歴史上あったそうですが、「800人で10万を倒した」という部分は創作です。『三国志・魏志張遼伝』を見ると、『張遼は800人を率いで侵攻してきた孫権軍の先鋒部隊を襲いこれを撃退し、その後、10万もの孫権軍は合肥を10日あまり包囲し続けたが落とすことができない上、疫病が軍中に蔓延したためやむなく撤退した。撤退したことろを張遼が軍を率いで追撃し、孫権を追い詰めたが寸でのところで取り逃がした』(意訳)とだけ記しています。800人で真正面から攻撃し10万もの大軍を撃退したとは一言も書いていません。

この先鋒部隊はいったいどのくらいの人数かは記されていませんが、、恐らく万を満たないでしょうし、襲撃とだけ書いているので殲滅ではないようです。張遼本人は非常に優秀な将ですし、地の利があれば800人でも先鋒部隊の出鼻を挫くことは造作もないでしょう。それでも自軍の数倍を当たるのですから凄すぎるの一言に尽きると思います。



スパルタを題材にしたあの映画は、絶対にありえないのです。300人が真正面から1万の敵の中に突っ込むなんて・・・



【補足】



張飛の話ですね。長坂での活躍のシーンの・・・。こちらも実際の出来事ですが、『演義』で誇張されたものですね。



『三国志・蜀志・張飛伝』では「先主聞曹公卒至、棄妻子走、使飛将二十騎拒後。飛拠水断橋、瞋目横矛曰:身是張益徳也、可来共決死!敵皆無敢近者、故遂得免。」と書いてあります。

これを日本語訳すると、『劉備は曹操が追って来たのを知り、妻子を置き去りにして慌てて逃げた。この時殿を張飛に頼んだ。張飛は二十騎ほどの兵を率いで川にかかる橋を塞ぐように守り、(迫りくる曹操軍に対し)矛を振り、「俺が張益徳だ。死にたいやつはかかって来い」と言った。敵は皆(張飛に)近づくことが出来ないので、(劉備は)難を逃れた』、ということになります。



歴史書の記述はこれだけで、張飛は橋の上で雄叫びをあげたかどうかはわかりません。また、敵がびびって逃げたかどうかもわかりません。まぁ、『演義』の創作の可能性は大きいですが。



以上








スパルタって300人対200万人で最後はスパルタが全滅しておわったと思うんだけど







『三国志 魏書張遼伝』に出てくる話です。

西暦215年、呉の孫権が十万の大軍で魏の合肥というところを攻めました。

この時、合肥を守っていたのが張遼、李典、楽進といった魏の名将で兵数は七千余だったといいます。

多勢に無勢で守備側が不利な中、張遼が決死隊八百人を募って早朝に奇襲を行い、十万の呉軍を大破した、とされています。

この奇襲攻撃の後、呉軍は更に十余日、攻城を続けましたが、結局合肥は陥落せず、孫権は引き揚げました。

後に魏の文帝(曹丕)が「合肥之役,(張)遼、(李)典以歩卒八百,破賊十万,自古用兵,未之有也(合肥の役において張遼と李典は八百の歩兵で賊十万を破った。古今の用兵においてこのような快挙は見たことがない」と賞しています。

やられた側の呉の記録である『三国志 呉書』を見ると、『孫権伝』に張遼等に急襲されてあわてて逃げる様子が描かれているのを初め、『陳武伝』『凌统伝』『潘璋伝』『賀斉伝』等に敗走の記述が見られます。

『資治通鑑』という宋代に編纂された歴史書にも、この内容は書かれています。

十万を八百が破った、というのは確かに誇張もあると思いますが、呉の大軍に対して魏の張遼が少数精鋭で奇襲を行い勝利した、という事実はあったと思われます。

(当時の出兵では十万と称しても実際に十万いることはまずないです。

また、あくまでも奇襲なので、実際に戦闘があったのは孫権の本陣付近で、呉の全軍が戦闘に加わったわけではないと思われます。

それらを差し引いても、少数で城を守り抜いたことと、奇襲を成功させたことは評するに値するでしょうね)







倒したというよりは蹴散らしたという感じかな。張遼の話でしょう。



張遼ら7000人が守る合肥に孫権が10万(10万というのは誇張かもしれませんが)が攻め寄せた。そこに曹操から命令書が届いて「孫権が来たら張遼、李典は打って出て戦え。楽進は守れ。」と書いてあった。そこで張遼は800人の決死隊を募って攻め寄せた孫権軍に奇襲をかけた。油断していた孫権軍は散々に蹴散らされ、以降戦意が上がらず10日ほどで包囲を解いて撤退。張遼はさらに敵の撤退時にも奇襲をかけ孫権を捕まえる一歩手前まで追い詰めた。



という感じだったと思います。張遼が凄いというよりも敵兵が少ないと侮って油断していた孫権が悪かったんだろうと思います。孫権は戦下手な君主でしたから。これ以外にも結構奇襲を喰らって負けています。

いささか誇張された表現があるにしても、正史に詳しく載っているので嘘ではないと思います。あの当時の歴史家、といか三国志の筆者である陳寿は現代の中国人とは違い嘘を書くことを徹底的に嫌がっています。当時の権力者にも都合の悪い事実もそれとなく書いてるぐらいです。







誇張された表現です。

確かに出てくる武将には万夫不動=一人で万人を相手にする、八百八屍将軍=一人で八百人相手にする、一騎当千=一人で千人相手にできる。などとその強さを畏敬の念を込めて呼称する場合がありますが、実際の人間では無理だと思います。古来、日本もそうですが実数の十倍以上の数字で誇張する習慣があったために、現在では考えにくい数字が特に古代中国史にはでてきます。

三国志についての質問です。

三国志についての質問です。

なぜ正史と演義では張飛の字が違うのでしょうか。

正しいのは正史の方?



ご存知の方、お願いします。







正史と演義の記述、どちらが正しいといわれれば、歴史書である正史の記述です。

つまり、張飛の字は「益徳」であって、「翼徳」ではありません。



ご存知のとおり、演義は三国志の時代から約1000年後に成立したものです。

そもそも演義とは、三国志の説話や講談を聞き取り、それを精錬された文書として書き起こしたものとされています。



そこで、なぜ「益徳」が「翼徳」に変わったのか、ですが。

どうも、その聞き取りの過程で、「益徳(えきとく)」を「翼徳(よくとく)」と聞き間違えて伝わったのではないかと言われています(中国語の発音では同音とのこと)。

それに加えて、張飛の「飛」が、翼徳の「翼」と連想しやすかったことから、この聞き間違いが、一般的に定着したというここととも言われています。



ちなみにこの当時の講釈師の脚本は、声に出して読まれるのが前提であったため、「諸葛亮」が「朱葛亮」、「司馬懿」が「司馬益」と書いてあることもしばしばであったとか。つまり、漢字の誤記、誤植はそれほど問題ではなかったということです。








日本では「益」(正史)と「翼」(演義)で別けることがありますが、中国での発音は近いのでどちらが正しいというわけではありません。

当て字で「益」から「翼」になったのかもしれません。







演義の方で間違えたか、わざと違えて書いたんでしょう。



普通に考えれば正史でしょう。



両方間違ってるかもしれませんが、張飛の場合は正史の方で間違いないでしょう。

三国志 今横山光輝氏の三国志を読んでいる最中なんですが、それに登場する董卓と...

三国志



今横山光輝氏の三国志を読んでいる最中なんですが、それに登場する董卓と呂布は三国志演義で書かれている外見が異なっているそうですが、
演義では二人の外見はどんな感じで書かれているんですか?







董卓は太ってますよ。呂布は二枚目だそうです。

ちなみに、張飛も太ってますよ。



コーエーのゲームの真・三国無双に登場するキャラが似ている気がします。








横山漫画での二人なんですが・・・。



董卓は「バビル二世」と言う横山作品の名作で、バビルの敵だった「ヨミ」にそっくり。横山氏が描く「典型的悪役」キャラなんです。

呂布はどうだろう・・・?横山作品の「戦国獅子伝」などに登場する、立派そうに見えて、行動がよろしくない若武者タイプのきゃらですね。



二人が登場する頃はまだ日中国交が開かれたばっかりで、あちらの史料がすごく入手しにくく、例えば呂布の長飾りの冠もイメージが湧かなかったから、間違って描かれています。容貌や小道具は、「百聞は一見にしかず」、見ないと分からないからですね。

そういう部分は、大目に見ないと・・・。



演義や正史では、董卓は「若い頃は引き締まった武将で、どちらの手でも弓が打てる特技を持つ猛将、中年以降はでっぷり太って、車ナシでは外出も出来ない」と描写されています。漫画はスマートすぎるわけですね。

呂布は「大柄ながら、すっきりとした、ハンサムと言っていい武将」と言うイメージ。漫画はチョイと「むさくるしい」感じですね。

ただ、演義では、「絶世の美女」チョウセンとのロマンスがあるため、相対的に「いい男」に繰り上がった・・・といえなくもないでしょう。美女と野獣じゃ、ロマンチックじゃないですからね。

三国志の人物には字がついていますが 字を付ける文化はいつの時代からあったのです...

三国志の人物には字がついていますが

字を付ける文化はいつの時代からあったのですか?また字をつける文化はいまでもあるのですか







礼記(らいき)は、周から漢にかけて、

儒学者がまとめた礼に関する書物を、

戴聖が編纂したものですが、

この中に、

【字(あざな)】は、

成人になったらつけられるという規定があります。

春秋戦国時代の人物にも字(あざな)は見受けられますので、

周前期(紀元前1000年頃)には、その風習があったものと思われます。



現在では「字」を付ける習慣は無いそうです。



『禮記.曲禮上』



「男子二十冠而字」「女子十五笄而字」

つまり男子は二十で加冠して字をもらい、

女子は十五で加笄して字をもらうということです。



加冠は、日本で言う烏帽子、

加笄とは日本で言う髪結いの儀式です。

成人式ですね。

これより男は髻を結って冠をつけ、

女は髪を結って簪を挿すことになります。



字は通常、家長ないし族長、

または地元の名士が烏帽子親みたいに付けたといいますが、

劉備や諸葛亮などは、付けてくれる適当な人物がいなかったからか、

自分で付けたという話を聞いたことがあります。



古代の字のつけ方には、数種類のパターンがあります。

一応の決まりがあるといわれます。



①同義反復:名と字の漢字が同じ意味をもつパターン。



例えば孔子の弟子の宰予は、字を子我。「予」と「我」は同義です。

諸葛亮は諸葛「亮」字「孔明」。

「亮」も「明」もともに「明るい」という同義です。



②反義相対:名と字が正反対の意味(対になる)パターン



例えば、晋大夫の趙衰(減少の意味)は字子余(増多の意味)、

唐の王績は字無功。

三国では、呂蒙が字子明。蒙は暗いという意味です。



③連義推想:名と字の一字がいわゆる連想語となっているパターン



例えば、趙雲は字子龍。「雲」と「龍」です。

水滸伝の公孫勝の二つ名は「入雲竜」。

龍は空を飛び、空には雲があります。

関羽は字雲長。「羽」と「雲」ですね。



張飛は正史では益徳ですが、

演義で翼徳になってる理由も伺えます。

「飛」と「翼」の方がしっくりします。



④書物の一節から:老子などの有名な書物から抜き出すパターン。



有名どころで言えば、劉備がいます。

劉備の字は「玄徳」。

これは一説によると、『老子』からとったのではないか、ということです。



『老子』

生じて而も有せず、為して而も恃まず、

長じて而も宰さず、是を玄徳と謂う。



また、『朱子語類』を読んでいくと、

「玄」は「真」であるという一文があります。

ちょっと飛躍して考えてみると、

「玄徳」=「真徳」。(天子になるべき)真の徳を持ってるのは自分だぞ、と、

暗に示してたのなら、

劉備の聖人君子的な面以外の裏の顔が覗けますね。



例で言えば曹操もまたこのパターンになるようです。



『荀子.勧学篇』

生くるも是に由り、死するも是に由る。夫れ是を之、徳操と謂う。



曹操の場合は名の「操」に合わせて

孟「徳」とつけたこの説が有力ですね。



あと諸葛亮も、このパターンにも含まれます。



『説文解字』

亮,明也。段注:“古人名亮者字明。”



「亮、明なり(段注:古人の名亮は字明)」ここからとって、

ついでに頭に「孔(おおいに)」をつけて、

「諸葛亮、孔明」となったわけです。

また、古に名が「亮」で字が「明」であった人物がいるとも記されています。

諸葛亮のことなのでしょうか。



同じく『説文解字』に、

瑾瑜,美玉也。というのもあります。

「瑾瑜は美玉である」。

この二文字を使っているのが、周瑜、字公瑾です。

この逆のパターンが、

呉の文官諸葛亮の兄の諸葛瑾、字子瑜です。



⑤排行

排行とは、同氏族内で同世代には共通する一字をつける、

などの法則のことです。



1)兄弟の順序をあらわす漢字を頭に、兄弟で同じ漢字をつける。

有名な「伯仲叔季」です。「孟仲叔季」の場合もあります。

日本で言う所の太郎次郎三郎です。

司馬懿の兄弟・「司馬八達」は、

上から順に

伯達(朗)、仲達(懿)、叔達(孚)、季達(馗)、

顕達(恂)、恵達(進)、雅達(通)、幼達(敏)



2)兄弟の順序をあらわす漢字を頭に、兄弟で違う漢字をつける。

「伯仲叔季」の法則を用いながらも、

下の漢字は名優先にして、兄弟で違うタイプです。

有名なのは呉の孫堅の息子です。



伯符(策)、仲謀(権)



ここでは同義反復を用いています。



【策】竹簡をひとまとめにしたもの(冊書)。文書。天子の命令「政―」。

【符】竹などでつくり、文字を刻んで二つに割り、

証拠としてもつもの「割―」、天子の勅命「―命」

【権】ハカる。計画を立てる。

【謀】はかりごと。



策も符も竹製の書くものですし、

謀と権は権謀という単語があるくらいです。



3)兄弟で共通の字を頭に、下は違う漢字をつける。

袁紹の子どもは頭に皆「顕」がついてます。

曹操の子どもも全員「子」がついてます。



「庶の長は孟と称す」とも言われます。

ここから鑑みれば、

曹操は実際正妻の子ではなく妾の長子、

と読み取ることもできます。

ただしこれは可能性があるというぐらいで、

受け取ってください。

曹操ファン倶楽部に殺されます。

三国志から得るものは何ですか?三国志は好きなほうですが、これといって印象がな...

三国志から得るものは何ですか?三国志は好きなほうですが、これといって印象がないです。友情や忠誠心以外でお願いします。







自分の場合はあこがれでしょうか。

関羽や張飛が戦場を縦横無尽に暴れまわる様を思い浮かべてるだけで自分は楽しいです。



そして登場人物の性格、その人がどんな人生を送って、その人の人生から何か学べるはずです。

ついでに自分が一番尊敬しているのは曹操です。








夢、でしょうか。

俺が天下を統一してやる!とか、漢朝復興し、奸雄を討つ!、受け継がれてきたこの大地を守る!等の一つの大きく、果てしない夢を持ち、追いかけるその姿に、男のロマンを感じました。



夢を持ちにくいこの世の中で、あれだけ純粋に夢を追いかける姿が新鮮で、羨ましく、私は思いました。



あの夢への姿勢は自分の人生の大きな支えとなっています。







よく釣り好きに悪い人はいない、といいますが

私はよく(半分ネタで)こういいます

「三国志好きに馬鹿はいない」



三国志は有名どころでも百人をはるかに超える人物が出てきます。

私たちは彼らが何をして成功し、あるいは失敗したというのを知っています。

その膨大な経験は時代も国も違う現代の私たちでさえ参考にするところが多くあります。



人生のハウツー本というのが私の考えです。







私は三国志がたまらなく好きです。

でも、本を読んで何か得ようとは思っていません。

故事成語や四字熟語に痕跡を残してますので、

成る程なあとは思いますが・・・。



正史は歴史書ですから、

自己満足で訳本を読みきればそれでいいです(結構大変ですが)。

演義は物語ですから、

深く考えないで楽しく読めればそれでいいです。

でも、本来それでいいのではないでしょうか。



何かを得ようと思えば、

孔子の論語や、孫子の兵法を読めばいいし、

中国の悠久の大地に思いを巡らせたければ、

漢詩(もちろん訳ですが)詠めばいいと思います。

(曹操.曹丕.曹植の詩は私のような素人が詠んでもすごいです。)



肩肘張らずに、

日本人とは根本的に違う大陸系の大らかさとか、

単純な思考回路を、

「面白い」とか、「もう少し頭使えよ」とか、

突っ込みながら、変な意味でなく「妄想」するのが、

たまらなくストレス解消になります。

「呂布」と「諸葛亮」

「呂布」と「諸葛亮」

ゲームの「三国志」に出てくる上記2名は、化け物じみた能力を持っていることが多いです

(特に最近のゲームでは。昔のゲームでは今ほど酷くなかった)。

「演技」では呂布と互角に渡り合ったとされる張飛が子ども扱いされ、

諸葛亮がちょっと策略を用いただけで数万の軍を壊滅させたり…



実在の両名(特に諸葛亮)は本当にそこまで化け物じみた人間だったのか甚だ疑問だし、

ゲームバランスをぶっ壊しているような感があります

(それ故最近の「三国志のゲーム」はほとんどしない)。



三国志のゲームをよくやる方は、こういう能力づけをどう思っておられるのでしょうか。



※なお、「三国無双」シリーズで「ビームを放つ諸葛亮」についての論評は御遠慮願います(笑)。







そんなに化け物じみてるとは思いません

むしろ、彼らが化け物じみてないと曹操がどうしようもないです

本当にバランス崩してるのは彼の軍でしょう(史実道理なんですがね)

蜀も呂布軍(董卓軍)もトータルで見るとそこまで怖くないです

むしろ序盤に沈むほうでは無いですかね



コーエー三国志基準なのでそれ以外のゲームのことならすいません

コーエー三国志も7と8と10くらいしかやってませんし

でも、他の三国志ゲームもいくつかやってますがそこまで化け物じみた2人はあまり見ません(呂布はボス格としてわざと強化されてたりもしますが、あくまで敵のボスとしてが多いと思います)



ちなみに、コーエー三国志の全能力合計値トップは曹操です(シリーズによったら違うかも)

次も周喩あたりです

諸葛亮や呂布はそんなには高くないですよ(諸葛亮は武力、呂布は武力と統計以外が低いため)

むしろバランス崩すほど強いのは曹操ではないでしょうか

私は三国の中では魏が一番好きですが、コーエー三国志の魏は簡単すぎるのでやる気が起きません

わたしよりもずっと魏が好きな友達すら、何かしら縛りを作らないと簡単で面白くないといってるぐらいです

逆に蜀はいい人材は多いのですが、武将や文官の数や国力のせいで結構厳しいです





ゲームそのものじゃなくてゲームのムービーで化け物じみすぎてるのは多いと思いますがね

特に無双とかだと








三国無双の場合

呂布は三国志最強の名にふさわしいよくできてると思います。

諸葛亮は無双の場合そんなに化け物じみではありません。体力低く無双が高く 攻撃が低く 防御が高い典型的な軍師タイプです。ステータスは弱いですが天才軍師だけあって弱くしないために無双技がレーザービームという強い攻撃だと思います。

無双で不満があるのは張飛が全然使えないほど弱いです。体力と攻撃は強いですが足が遅くジャンプも低く攻撃の出が遅いので呂布と互角に戦った武将とは思えないほど平凡な猛将タイプです。曹操も平均的な主君タイプのステータスです。三兄弟で一番弱い劉備が張飛より使えるし

関羽は足が少し遅いのは気になりますが強いです。







三国志とはいってもゲームですしあまりにも史実を忠実に再現しようとしたり人物の

能力をリアルに設定しすぎたりしたら今度は地味すぎてゲームとしての面白みに

かけるかもしれません(^_^;)

あくまで三国志の登場人物をモチーフにしたキャラクターを操作して楽しむ

シミュレーションゲームやアクションゲーム位に考えてやるのが楽しいかもしれないですよ。

たしかに曹操率いる魏は強すぎかもしれませんがこの手のシミュレーションゲームは

初心者用の国から上級者用の国まで分かれているのが普通です。

(じゃないと初心者は大変です)

強すぎるキャラがいればそいつと戦えばいいだけ。

ゲームは楽しみ方次第です!







諸葛のほうは知略=政治 という意味では

異常



なぜか呉と同盟組めたり

なぜか劉備軍団がまともに育ってるし

なぜか人材がやたら増えるし

なぜか戦争が出来るし(金が無いと出来ない)

なぜか連戦連敗でも人徳あるし





パラメーター的に言うと

戦争の知恵 で言えば85前後 と思う

しかし政治の知恵 という意味でいえば120はあってもおかしくない





ちなみに策略した といわれるものはほとんど捏造ってのは今じゃ常識







呂布の場合は個人の武勇ももちろんだが

戦闘指揮間としての技量も半端なかった



ゆえに強かったわけであり=他の武将と戦闘力の差が激しいわけ



まぁ諸葛や呂布が強くてもわかりきったことだから

別にいいんじゃね?





個人的にはチョウウンがつよすぎるのが

全く持って気に食わないが







大昔のことなので、どれほどすごい人物

なのかはどんな人も分かるわけありませんが





文献によれば諸葛亮は確かに

奇抜な戦略で敵を滅ぼしたということに

なっていますし、書物になぞらえれば

妥当な能力ではないでしょうか?







呂布は確かにやりすぎでは

とおもいますが.....







最近映画にもなりましたし

諸葛亮は世界的に有名なので

少し持ってる部分はあると思います。