三国志演義ではこうだけど三国志正史ではこうだ!というものをできるだけ多く教えてください。
例えば
・人物像の違い
・出来事
・正史にはないが演義にはある。その反対も
などなどたくさん待ってます。
張飛の字が、演義では翼徳、正史では益徳。
孫堅配下の祖茂の字は演義では大栄、史実は伝わっていない。
張遼は病死なのに、演義では丁奉の矢に当たって死んだことになっている。
徐晃も病死なのに孟達の矢に当たって死んだことになっている。
まあ何よりも、若死にしている人物を活躍させないと物語にならない蜀。
基本的なことを一つ。
正史は「事実」ではありませんよ。
その国の人物達の記録です。
三国演義が創作物であり、虚構も混ざっていることは
知れ渡っているのですが、その反動か
何故か正史を事実と勘違いする風潮があるみたいですね。
例えば、現在の中国が記録として中国共産党の
歴史を紙に綴ったとしたら、大躍進政策や文化大革命の
夥しい犠牲者の記録は省かれてしまうかもしれませんね。
書き残してしまえばお終い。
時が立てば、それが歴史となり真実は記録に残らない「嘘」と
して民間の中に埋もれていく事でしょう。
それが紙に綴るだけの歴史であるならば。
国家は嘘つきということを古来より理解していたのか
中国の方は賢いですよね。
周倉や関索など、民間伝承発の人物をまるで実在していたかのように
崇め墓すらも作ってしまう。
国家の言い分には揺さぶられず、自分達の誇るべき歴史を
自分達で創り上げ
ついには国家すらも額づかせてしまうほどの影響力を築き上げ現在に至る。
正史にはないが演義にはある。
それは国家の威に擦り寄る姑息な学者達の
言い分に屈しない民間の強い絆から生まれた民間が思う真実の創造に
成功したことだと思います。
三国志演義は史実7割、虚構3割とよく言われます。確かに場面場面での書かれ方が違いますが、演義のおかげでこれだけの三国志フリークが誕生したわけですから、その果たした役割は正史以上とも言えますね。私も演義からはいり、正史に興味を持った人間です。
さて、違うことでひとつ。呉の活躍した武将に陸遜がいましたね。関羽討伐あたりに出てきた名将です。彼は後に呉の丞相にまでなりますが、孫権の後継者騒動の際(ニ宮事件)に孫権の叱責により憤死しています。孫権が陸遜を殺したようなものです。後に孫権は陸遜の子供に詫びていますが、この辺のくだりは演義では一切触れられていません。
いろいろ多くの違いがすぐ分かる便利な本がありますので紹介しておきます。
『全貌 三国志演義』 坂口和澄 著
120の出来事を2ページ見開きで演義と正史で比較して見る事ができます。相違点が明らかになりますよ。初級編としてうってつけです。
http://www.amazon.co.jp/%E5%85%A8%E8%B2%8C-%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF...
補足
kankou_ip_weaponさんへ。
>>正史を事実と勘違いする風潮があります。
そんなことみんなしっていますよ。ただ、それを大上段にふりかざされると何も言えなくなりませんか。それが歴史の宿命でしょう。少なくとも中国の24正史のひとつである「正史 三国志」を史実として語る事は普通のことです。
歴史は勝者が作るものですからね。
質問にこたえるのが回答者で他の回答者にくだらない薀蓄をふりかざしたりしていてはいけませんよ。
基本的に演義では蜀が正当で劉備が善です、ですから魏の曹操は悪人として描かれています。また呉の功績も蜀の功績になっているものが沢山あります。
劉表の子供劉琮は演義では曹操に殺されますが実際には厚遇され青州刺史に就任、後諌議大夫・参同軍事と昇進した。同じく献帝も曹丕に禅譲後は厚遇されました。
演義における華雄は汜水関で関羽に討ち取られますが実際には陽人の戦いで戦死し、その首級は孫堅の手により梟首とされた。
演義の諸葛亮は赤壁の戦い前に周瑜から矢10万本を集めなければ死に値すると迫られますが一晩で集めてしまいます。正史では諸葛亮は単に劉備側の同盟締結の為の使者であってそのような事実はありません。これは孫権が敵陣を視察した時に乗艦の片側に敵の矢が集中しバランスが崩れ危険だったので反対側を向けたという話を脚色したものです。
三国志演義は一つの物語だけど正史は個人の伝記の集合体。
手軽に読めるという意味では正史の方が手軽。
人物像の違いは多すぎて書ききれないです。演義にしか登場しない人物(要は架空の人物)もたくさん存在しますし正史にしか登場しない人物もむちゃくちゃ多いです。
前の方が諸葛亮に触れてましたが彼は演技だと万能の天才軍師、正史だと非常に優れた政治家とずいぶん扱いが違います。
とりあえず正史では、「劉備ってだれ?」くらいに活躍していません。
ならんで、孔明の秘術もまた然り。
赤壁の戦いだけで、連環の計・10万の矢狩り(勝手に名前付けました;;)・東南の風など。
また三顧の礼は為されず、将来不安から孔明自ら劉備を訪ねたという話もあるらしいです。
それに魏の元を作った曹操は悪人ではなく、善政を心掛けたようです。
考えて見れば当たり前かもしれませんね。
悪政の評判が立って、どうして大国を維持できるでしょうか。
ということで、演義を読んでから正史読むとテンション下がりますよ。
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